2013年04月30日
ネパールへの旅 vol.16 アンナプルナB・C~バンブー
3月10日(日)
ヒマラヤの山々が赤く染まるところを見るために、AM5:00起床。
室温は2℃、高度と乾燥の為か実際の温度より寒さを感じる、ノドの痛みもキツイ。
残念ながら赤く染まらなかったが、朝日は徐々に山を照らしていった。
私はヌードル入りのガーリックスープを、息子は野菜入りの韓国辛ラーメン。あと野菜入りの
焼き飯をシェアして食べた。この後、親子ともに野菜辛ラーメンブームになる。
国境なき医師団に属し、下山後アフガニスタンに帰るDr.インさんと!親切で男らしい紳士だった。
英語ができないのを一番悔やんだ相手、インさんにもっと色んな話を聞きたかった・・・。
B・Cから見たマチャプチャレ。シヴァ神に関連する特に神聖な山として、地元住民によって
崇敬されているという。
あいかわらず、今朝もぶっきらぼうな息子だが、表情と口調が昨日までより柔らかい。
私らは永遠に和気あいあいとした親子にはなれないかもしれないが、こんな感じも悪くない。
二人でここに来てよかったと、初めて思えた。
強烈な日差しのなかを、ふもとに向かって出発。雪の白と空の青が眩しい。
昨日はガスで見えなかった景色が、壮大に目の前に広がっていた。
聖峰マチャプチャレと太陽の方角に向かって、私達は歩いている。
ポカラでこの山に一目惚れしてから、心を奪われたまま。見る度に「ははぁ~!」と
ひれ伏して祈りたくなる。
「なあ、俺の目標が決まったよ」 「難しいやろけど、いつかあの山に登ってやろうと思う」
テンションがあがっていた私は、思い切ってこんな恥ずかしい事を宣言してしまった。
しかしとなりを歩く息子は無反応・・・。おい、なんか言うてくれよ!(笑)
少し調子にのりすぎてしまったか。(^_^;)
(後日調べてみると、なんとマチャプチャレは未踏峰だった。この現代においても!
神様が住まれている神聖な山という事で、登頂は禁じられているという)
マチャプチャレB・Cに到着、昨日登った方面を撮る。こんなに見渡しがいい場所だったとは!
次号につづく・・・
2013年04月27日
ネパールへの旅 vol.15 アンナプルナ・ベースキャンプ
3月9日(土)
ときおり強い風が吹き、顔に細かい氷の粒があたってくる。
白いガスは少しずつ薄らいできた、高度はもう4000mを越えている。
ゴールはまだ見えないが、もうそんなに遠くないところを歩いてるはずだ。
すぐ息があがってしまうのは相変わらずだが、自分が思ってたより力強く登って行ける。
後ろを振り返ると、いつもどおりの淡々とした表情と足取りで息子が歩いてくる。
二人きりで白い世界の中を、黙々と歩く。ざくざくと雪を踏む音と互いの呼吸音。
「なんやかんや言っても、俺らは一緒にここにいるんやな」
なぜか急に、ふたりで今こんなところにいる事がとても不思議な気がしてきた。
私の思いつきに付き合わせて、こんなところまで連れて来てしまったんやな。
文句を言いながらも、よく付いて来てくれたもんだ。と感慨深くなった。
そう考えると、生意気な息子がなにやら健気に思えてきた・・。ほんのすこしだけやけど(笑)
やがて薄もやの向こうにゲストハウスが現れ、あっけなく無事ゴールにたどり着いた。
思ったより感動はないが、それは予想していたことで、私はいつもそんな具合なのだ。
とうとう来たなという達成感をじんわりと感じながら、息子と握手をかわした。
ゲストハウスの部屋の前で、雲の間から、山の先端を覗かせているのが聖峰マチャプチャレ。
チェックインしたゲストハウスのオーナーは厨房で忙しく料理をしていた。
到着した興奮でハイテンションな白人たちで食堂は占拠されていた、すごい熱気で、
みんないい笑顔をしてる。
オーナーは無愛想に、敷地の奥にあるもうひとつのゲストハウスを指差した。
そちらも彼の経営だと言う。
離れのゲストハウスは、若いネパール人スタッフ達にすべてをまかせていた。
そしてどうやら、こちらをアジア人専用にしているようだ。
オーナーの意図はよくわからないが、人が少なく静かなこちらの方が私にはとても有難い。
ゲストハウスの飼い犬だろう、賢そうでおとなしい犬だった。
気温は低いが、空気はとても乾燥していた。部屋の裏には雪がぎっしり、中は冷蔵庫状態だった。
「なぁ詩、そろそろ聞かせてくれへんか」 とベッドに座る息子に言った。話す息が白い。
息子の名前は、詩朗(ウタロウ)という。名づけ親は、当時24才だった私だ。
やっと訥々と話し始めた息子を見ていると、それだけで少し嬉しく感じてしまった。
ときおり言葉につまりながら話す、息子の思いを全部聞いた。
細かい事もいくつかあったが、彼の不満の大本の原因は、
「威圧的で命令的な、私の態度と言動」だと言う。
私をそういう風にさせるのはそっちが・・・という思いもあったが、
わたしの心のどこかで、私がお前を養っているのにとか、
私の稼ぎでこんな旅もできているのにとかいった、上から目線の思いがあったのは確かだ。
息子の言動と態度にやさしさが感じられないからと、私まで対抗してしまっていた。
彼なりに色々頑張って、緊張して、チャレンジして疲れてたのだろう。
まず私の方から、もっと気遣いのある接し方をするべきだったと思う。
息子に対する自分を客観視できたら、自分のいたらなさも良くわかった。
「いろいろゴメンな、これから気をつける」と息子に謝った。もうこれ以上ギスギスした空気で
一緒にいることがツライ、仲良くまでとは思わないが以前の普通に戻りたかった。
最後にナミダ声になりながら「二人しかいない山の中やのに、暴力はやめてほしい」
と言われ、深く謝った。申し訳ない。
「俺らはふたりとも言葉が足らなさすぎやったと思う」、照れや家族間の甘えか。
もっときちんと言葉にだしてお互いの気持ちを伝えていこうと息子に言った。
「正直しんどかった。これからは楽しい旅にしような」
こうしてひとまず、親子ゲンカは一件落着した。
しょうもない争いを、長らく引っぱってスイマセンでした<(_ _)>
話し合いが終わって外にでると、ガスが消えさり、8000mの圧倒的な姿が。
めずらしい地元ネパールのトレッカー達、高校生みたいにはしゃいでいてカワイかった。
私達の確執が消え去ると、タイミングよくガスも消え去り、太陽も少しのぞけた。
晴れ晴れした心で、あらためて360度に広がるヒマラヤを眺める。
やっと神々の山と向かえ合えた気がする。
月並みな表現だけど、そこは想像したとおり言葉でも写真でも表せない圧倒的な風景だった。
息子は、白人トレッカーが集まる食堂が気に入ったみたいで、一人でそちらに行っている。
あんな英語の嵐の中によくいてられるもんだ、頼もしくて嬉しいことだけど。
次号につづく・・・
2013年04月25日
ネパールへの旅 vol.14 ヒマラヤ~アンナプルナB・C
3月9日(土)
こっちにも色々と言いたい事がある、と脚を蹴られた息子が言った。
ゲストハウスに着いたら話すとの事。
いつでも何でも聞いたるよ、と私。突然なんか妙に冷めてしまった。
暴力で脅かして少しはスッキリしたんやろな、とむなしく自己嫌悪する。
マチャプチャレB・Cのゲストハウスが薄っすらと見えている。本格的に雪山になってきた。
酸素が薄くなってきてる影響か、前日までとは違うハードなルートのせいか、
約800mの高低差を登るのが予想以上に苦しい。
ツアー登山などでは、一日に約500mほど登る日程で組んでいる。
高山病予防にもそのくらいがベストらしい。
それと比較すると800mでもそこそこの高度を稼いでいるのだが・・・。
少し登ってはゼエゼエと立ち止まる私と、あまり疲れた様子もない息子。
この冬には、ヒマラヤを想定して、奈良の雪山に通ってカラダを鍛えてきた。
出発前の日曜にも、息子と六十谷の山を歩き、体力的には同等のレベルくらいには
なってるんじゃないかと思っていたが、やはり若さのパワーは恐るべしである。
最後あたりはかなり雪深くなった道を、やっとの思いでマチャプチャレB・C(3700m)に到着!
ヨーロッパ、中国、韓国、日本、ネパール。食堂は興奮気味のトレッカー達でにぎやかだった。
あたりに白く煙るガスのために、神々の山、聖峰マチャプチャレは全く見えない。
ポカラのゲストハウスの屋上で、この聖峰を初めて見たときから
その峻厳な容姿に心を奪われていた。男なら誰でも憧れるであろうカッコよさである。
当初の宿泊予定地はここだったのだが、このままアンナプルナB・Cまで行けないか思案する。
地元のポーターと話すと、この雪では2~3時間くらいは必要だろうとの事。
地図をみれば、迷う心配もなさそうな尾根づたいの一本道だ。高低差はあと430m。
Annapurna Base Camp (South) 4130mが目指すゴール地点!
心配なのは、日没までの時間があまり残っていない事。今は午後2時すぎである。
さらにこの視界をさえぎるガスと、私の残り少ない体力。条件的にかなり難しそうだ。
やはり今日はここに泊まる事にしようと息子に告げる。
ゲストハウスの庭に、前日に顔見知りになった韓国人トレッカー達が座っていた。
昼食を取るという彼らと共に食堂に入り、砂糖いっぱいの熱いジンジャーティーを飲んだ。
ポーターとガイドを連れた麻酔科医のインさんは、韓国からではなく、
アフガニスタンからやってきたという。
現地で活躍するいわゆる「国境なき医師団」のメンバーだった。
今朝も出発前のインさんにお願いして、ドルをルピーにこころよく両替してもらった。
とても紳士的で、キリッとした顔立ちのナイスガイである。
ルピーがなければ、この山中ではヤバイところだったのでホントに大助かりだったのだ。
中国から来た女性二人組と白人男性のグループに話かけられた息子が拙い英語で頑張っている。
色んな国籍で囲まれた賑やかなテーブルで、スニッカーズをかじり、粉末アミノ酸を補給した。
どうやらインさん一行は、この後アンナプルナB・Cに向け出発すると言う。
インさんに雇われた地元のガイドやポーターが、今からでもA・B・Cまで行けると
判断しているということだ。この天候のコンディションでも。
へんな負けん気が出たわけじゃないが、インさん達が行くのなら私たちも行きたくなってきた。
休憩して、栄養を補給したせいか、身体にまたチカラが甦ってきている。
「よっしゃ!やっぱりアンナプルナまで行くか!」
突然、張りきりだした親父に、息子が眼鏡を指で上げクールに聞いてくる。
「さっきまでフラフラやったのに、そんなんで行けんの?」
俄然ヤル気になってしまったね。 「体力戻ったよ、よし出発しよか」
ゲストハウスを出発し、着け方を教えながら、山に来て初めてアイゼンと
足首から雪が入ってくるのを防ぐスパッツを装着した。
この時のためだけに、旅行中これらの道具を持ち歩いてきたのだ。
いよいよ旅のハイライトがやってきた。
しかし白いガスで覆われて何も見えない進行方向を仰ぎ見ると、
さすがに不安な気持ちになってくる・・・。
「なぁ、行くん止めとけへん?」と横で息子が言う。
「さっき、中国の二人組が今日は危ないから止めたほうがいいって言ってたよ」
そんな事を息子に言ってたのか、私には話しかけても来なかったのに・・・。
「こんだけくっきり足跡が付いてたら、たとえガスで1mくらいしか見えなくなっても大丈夫だ」
「いざ無理となったら、来た道は戻ってここに帰って来よう」
「だいじょうぶやから、俺を信用してくれ」
「別に無理して行かんでいいやん」と息子、確かにそう言われればそのとおりだ。
少し強引なのは自分でも自覚している、確実に安全に行くなら明日にすればいい。
しかし色んな状況を考えた上でも、危険は少ないと判断した自分の考えを尊重したい。
少ないキャリアだが、これまでの雪山の経験から照らし合わせても大丈夫だと思える。
そして結局は、なによりも少しどきどきした冒険心を味わいたかったのだ。
実際、この現状にわくわくした気持ちを感じていた。舞台はヒマラヤなのだ。
じつはそれが大方の理由であったと思う。
ただそれをストレートに息子に伝える事ができなくて、
もっともらしい事を言って息子を説得していただけなのだ。
安全、安全と口うるさく言っていた立場上、苦しい説得工作になってしまう。
「行くの怖いか?」 我ながらずるい事を聞いてしまったもんだ(笑)。
「別に怖いって言ってないやん、二人組にあんな事言われたから気になるやろ」
「よし行こう!」
次号につづく・・・
2013年04月23日
ネパールへの旅 vol.13 ヒマラヤ~アンナプルナB・C
3月9日(土)
白い雲の中を歩いているようで、周りの山々はまったく見えない。
雪に残る足跡を頼りにして、最終目的地アンナプルナ・ベース・キャンプを目指していた。
ときおり後ろを振り返って、不服と不安の表情を浮かべて歩く息子を見る。
高度計によるともうすぐ4000mを越える、時刻は夕方4時になろうとしていた。
すこしは白いガスも薄くなってきたような気がするが・・・
今日の予定は、ヒマラヤ(2920m)~マチャプチャレB・C(3700m)
約4時間ほどの道のりである。
前日、前々日の行程がハード過ぎた事や、念のための高度順化などを考慮して決めた。
朝はゆっくりめに10時出発、ダイアモックス一錠とアリナミンA三錠、粉末のアミノ酸を
ゲストハウスで売ってもらった煮沸水で飲みこんだ。
どうやら風邪はほとんど治ったようである。風邪薬を持ってこなかったのは迂闊だったが、
ひたすら横になって寝まくったのが良かったみたいだ。
残雪と氷がまざる川原を遡上する、滑りやすい足元に神経を使う。
山に入ってから特に、息子との関係が悪化したせいか、
「親と子」について過去の色んな事が、とりとめもなく頭に浮かんでくる。
昼間歩いている時も、眠れず寝袋にくるまってる時も、ふと考えてしまっている。
「自分が今の息子くらいの歳だった時、どんな子供だったのだろう?」
世の中をなめきって、周りの大人や自分の人生まで馬鹿にして息巻いてた
イヤなイヤ~なガキだった。薄っぺらな知識や屁理屈を振り回して悦にいってた。
間違いなく性質の悪いガキだった。最近もタチが悪いが(笑)
できることならタイムスリップして、当時の自分をこっぴどく説教してあげたい。
思い出すのも恥ずかしい。人生の暗黒時代をできることなら消去してしまいたい。
「18くらいの時、自分は母親にどう接していて、どんな思いをさせていたのだろう?」
そんなに酷い息子ではなかったと思うが、突飛な行動や夜中までバイクを乗り回したり
していた時期で、かなり心配をかけていたのは間違いない。
徹底的に自己主義で、ロックかぶれのたわけ者だった。
我儘し放題の私に対しても、何ひとつ咎めることもなかった優しい母親に、ある時
「あんたは、怖いくらいに人に対してすごく冷たいところがある」と静かに言われた。
思ってもみない、突然意表をつかれた言葉だったので、今も強く記憶に残っている。
その時の母親のうつむいて目をそらした残念そうな表情も。
母から見た私は、実際にそうだったんだろうなと、今は解りすぎるくらい解っている。
一生抱えていく、自分という人間の本質を言い当てられていたとも思える。
悲しい現実だが、仕方がない。
自分の過去を思い出し、考えれば考えるほど、今の息子のほうが何百倍もましな
子供なんだという結論に至る。
不器用すぎるとこも、ズルさのない事の裏返しだとも思う。誠実でバカ正直なのだ。
わたしはもっと計算高く小狡く、大人をだまして自分の利を得ていたが・・・。
そして父と私との過去の関係が、私と息子との関係にどう影響しているのか・・・
きりがないので、この辺でやめておこう。
とにかくそんな事ばかりウジウジと考えていたのだ、壮大なヒマラヤの山中で!
父であるわたしの方が歩み寄るべきだというのは、頭や心ではわかってはいるが、
現実、反抗的な息子を前にすると、その瞬間、単純にムカついてしまう・・・。
中学、高校などの先生やスポーツ指導者の方々の忍耐強さを心から尊敬します!
とうとうヒマラヤのジャイアンツ達が眼の前に近づいてきた!
雪解け水はやがてインド洋に?、ヒマラヤも昔は海の底だったという。一年で1cm盛り上がるとして
計算すると80万年で8000mに、一億年なら1000km!頂上は宇宙空間だ。一億年って永いな。
息子には、ほとんど雪山の経験がない。
大胆に雪や氷の斜面を歩いてくる彼を見てると、怖くてしょうがない。
濡れた階段とは違い、一度足を滑らすと止まらず転落していく。
こまめにアイゼンの付け外しをするべきか迷ったが、また嫌がるであろう息子に
承諾さすのがめんどうだった。揉めるとカラダがどっと疲れてしまうのだ。
滑ると危険そうな場所では、必要以上に一歩ずつ踏みしめながら歩く作戦をとった。
腰を落として、がに股でのろのろと雪の斜面を下る。後ろで息子が苛ついてるような
気配を感じるが仕方がない、ここでのミスは致命傷になる。死亡する可能性も高い。
危険な箇所を抜けると、見晴らしのいい広い川原に出たので小休止をとる事にした。
そろそろ高度の影響か、いつもより息がきれるのが早くなっている気がする。
私が考える山においての休憩時間とは、装備の整理やチェック、
服装や靴ひもの調節、水分や即効性のある栄養の補給、ストレッチetc...
などの為の時間であるが、息子にとっては学校の休憩時間に近い感覚のようだ。
すこし離れた川原に行き、川を見ながら座っている。
疎ましがられるので、休憩ごとにこまかく指示するのをなるべくガマンをしていたが、
川原の彼を呼び寄せ、出発時間までにザックの底に入れているアイゼンを
取り出しやすいところに入れ直すようにと言った。
案の定、そんな必要ないやろ!と噛みついてくる息子・・・。
前方に雪渓が見えているから、アイゼンを使う可能性がある。雪のうえで荷物を
取り出すのは面倒で危険だからと説明したが、それでも不服そうな息子を見て苛立ち、
「とにかく早く用意せぇ!」ときつく言ってしまう。なぜいちいち私に歯向かってくる?
息子にキレて逆上した後、急に周囲が曇りだしガスも発生しはじめた。
息子の雪の紫外線対策として、使い捨てコンタクトとサングラスを用意していたが、
メガネのまま行くという息子の意思に従った。
山岳書によると、高所と雪の紫外線は強烈だという話で、雪盲という症状になると
痛みと涙で目が開けれない状態になるという。大丈夫だろうか?
「なるべく薄目にして、眼を守りなよ」 振りかえって息子に言う。無言・・・。
「薄目にしとかな眼ヤバイで」 あぁとめんどくさそうにつぶやく息子、
「なんやねん、その態度はこら」
「わかってるってゆうてるやろ!」
息子のニラんでくる眼を見て、とうとう私のほうが手を出してしまった。
胸倉をつかみに行く私の手を息子は払いのける、足元に軽くローキックをかます。
別に本気でキレているわけじゃないが、こいつを無性に懲らしめたかった。
もう父と子などは関係なかったと思う。
無言でしばらくにらみあい、最悪のムードでまた歩きはじめた。
次号につづく・・・
2013年04月19日
ネパールへの旅 vol.12 チョムロン~ヒマラヤ
3月8日(金)
山側のゲストハウスの方が良さそうだったので、値段を聞いてみる事にした。
外のテーブルに経営者のファミリーらしきグループが座っている。
子供も嫁らしき人も全員、軽く悪人づらなのが気になったが、
「エク ラートコ カティ?」 一泊いくらですか?
とジャイアンみたいなオヤジにネパール語で聞いてみた。
「○△◆×・・・・!」 でかい声でオヤジが言う。おそらく数字なのはわかるのだが・・・
「○△◆×・・・・!」 あかん全くダメだ! 仕方がない 「ハウ マッチ?」と聞くと。
なにやら非難めいた事を大声で言ってきた、ネパール語なので全くわからない。
オヤジはあきれたような馬鹿にしたようなジェスチャーで、テーブルに居る家族達に
なにやら言っている。その言葉を聞き、皆がいじわるそうな顔で私を見て笑っている。
どうやら「ネパール語で話かけてきたから答えたのに、何だこいつは?」ってとこか?
くそ!なんだこいつらは! お前の方言がキツいんじゃないか?そんな数字知らんぞ!
ネパール語で聞く方が喜んでくれると思ったから言ったのに、馬鹿にしやがって!
くやしかったが結局、部屋がいい感じだったのと温水シャワーがあったので
一泊300ルピーのジャイアンのゲストハウスにしてしまった。
夜はかなり冷えた、高度が上がるごとに空気も乾燥してきてノドがつらくなっていく。
山の高度が上がるのに比例して、煮沸した水や食べ物の値段が高くなっていくが、
宿泊代はどこも一泊300ルピーだった。
覚悟はしていたが、またぬるま湯のシャワーを叫びながら浴びる。
トレッキングに来ている人たちの7~8割は白人たちで、山ですれちがってもゲストハウスに
いても陽気で明るい人たちが多い。とにかく楽しそうに良くしゃべってるが、いやな感じはしない。
山で挨拶をかわす時の、彼らの笑顔はステキだった。くやしいが粋でカッコいいのだ!
あの笑顔とサービス精神は見習いたいと思わされた。
あとはほとんどが韓国人で少しだけ中国人、山で出会った日本人は結局男子二人だけだった。
雄大な景色を見ながら、パンツや靴下を洗った。写真の上のほうの斜面には雪が残っていた。
息子は、外に行ってくると言ったままずっと部屋に戻ってこない。
さすがに心配になり周辺を探すと、少し離れた岩場に寝転んで音楽を聴いていた。
ひとりの時間も欲しいんだろな、と思う。悪いが無事に山を降りるまでガマンしてくれな。
父だってホントはうるさく小言ばかり言いたくないんだ。安全面に問題なければいくらでも
好きなようにさせてあげたいんだが・・・。
食堂や外のテーブルでは、白人グループがにぎやかに談笑している。
私らに対しては、ツンとしてえらく愛想の悪い宿のファミリーたちなのだが、
大きな声で英語をしゃべる白人たちには、気後れしたような弱気な顔つきになっている。
アジア人には同属嫌悪なのか、白人コンプレックスなのか。見ていてウンザリだ。
こんな風に物事を見てしまうのは、ココロが荒んでる証拠だろうな。
色んな事がうまくやれない、自分のことも嫌になってくる。
今日はいろいろと疲れてしまった(-_-;)
山にいる間にいつも飲んでいた刻んだ生姜入りのジンジャーティー、息子は生レモンたっぷりの
レモンティー。山では砂糖を大量に入れて飲む。名物だというアップルロールを食べたがハズレ。
昨日から高山病予防のために、ダイアモックスという薬を飲んでいる。
意識的に水分も多くとるほうがいいらしいので、多い目に飲む。
明日からはとうとう3000mオーバーの世界に入っていく、
二人にとって、初めてのステージである。
登山道もだんだんと険しくなってきているし、雪や氷も現れるだろう。
ノドの痛みは少しあるが、風邪は回復してきてるようだ。
早い時間に寝袋にくるまりベッドに横になる、
明日にそなえて回復しなければ・・・。
ではまた次回!
2013年04月18日
ネパールへの旅 vol.11 チョムロン~ヒマラヤ
3月8日(金)
朝7時頃にゲストハウスを出発。疲れがとれていないのか、けっこう足が重い。
谷を挟んで向こうの山の斜面に、目的地に向かうルートと小さい集落が見えている。
川に架かる吊橋を渡るために、いきなり400mほども下らなければならない。
そしてまた600mほど登ってSinuwa(2340m)を通過して、また少し下って
Banboo(2190m)を経て、Himalaya(2920m)が今日の宿泊予定地である。
Chhomrong(2170m)~Himalaya(2920m)、750mの高低差であるが、
今こうしてざっくり計算してみたら、約550m下り、1300mほど登らなくてはならない。
ちなみに和歌山市内から見えている六十谷方面の山々は3~400mの登りだ。
もちろん細かいアップダウンはもっとある訳だから、計画としてはハード過ぎである。
そして前日の足の疲れと風邪気味のカラダ、あの日はしんどかったはずだ。
チョムロンより奥に行くと、ほとんど民家はなく、ゲストハウスが点在するだけになる。
昨夜は、カラダが疲れているはずなのになぜか深く眠れず、
何回も目が覚めては、枕もとの水を飲み咽を潤して、ときおりノド飴を舐めた。
となりにベッドの息子も、しきりに寝袋の中で体勢を動かしていたから、
彼もあまり眠れていないのだろう。
昨夜相談して決めた起床時間は5:00だったが、やはり息子は起きてこない。
仕方なく無理に起こすのだが、予想通りの不機嫌な態度に今日も思いやられる・・・。
食堂で朝食をオーダーして、お互い無言で料理を待つ。
向かいには、俯いてダルそうに座っている息子がいて。後ろの窓からは、憧れだった
ヒマラヤの山々が早朝の光に輝いてるのが見える。
心ときめく場所にいるはずなのに、なんでこんな重たい気分なんだ?
きっかけは何だったか忘れてしまったが、とうとう息子に声を荒げキレてしまった。
「お前、ええかげんにせえよ!こらっ!」
・・・この後の聞き苦しい言葉を訳すると。
「なぜ、私に対してそんな態度をとるのか?」
「初めての場所と慣れない言葉で、私なりにテンパリながら頑張ってるのに、
なぜそんなに非協力的なのか?」というような事を言ったと思う。
息子は感情が高まると言葉が出なくなってしまう、小さい子供のときからそうだった。
「辛くても言葉にせんかったら、相手にはわからんで・・・」そんなような意味の事を、
今までに何回か彼に言った覚えがある。
息子が私に何か伝えたい事があるのは、わかる。
だがコントロールできず涙を流しているのだ。
「なんか言いたい事があるんやったら、いまここで全部聞かせてくれよ」と
高ぶる息子に追い打ちをかける。
息子は、来月から和歌山を出て、厳しい環境で訓練が始まる。
これまでの学校や家とは違い、言葉にせずとも周りが意思を汲み取ってくれる事は、
まず期待はできない。
不器用な言葉でもいいから、相手に自分の言いたい事を伝える努力をしなければ、
この先の世の中を渡って行くのが難しいんじゃないかと心配なのだ。
ようやく息子が口を開いた。「今はムリやから、落ち着いたらまた言う」
この場で本音で話し合って、謝ることがあれば謝り、解決できることは全部かたずけて
すっきりとした気分でヒマラヤの山々にあらためて向かい合いたかったが、
これ以上無理強いはせず、彼なりの意思表示を尊重して受け入れた。
しかし山を歩きながらも、息子が言いたかった事が気になってしまい、
悶々としながら、息をあえいで急坂を登る私・・・。
1~2時間歩いた頃だっただろうか「まだ落ちつかんの?」と聞くと。
「何回言わすんなよ!落ちついたら言うっていってんやろが!」
逆ギレしてきた息子に、少し驚きムカつきやがて悲しくなってきた。
あぁこんなヒマラヤになるとは! (-_-;)
読んでくださってる皆さん、しょうもない親子ゲンカをだらだら書いてスイマセン。
Sinuwa近辺にて。犬とじゃれてる息子
息子が高校に入学したとき、ゲーム機とひきかえに何か運動部に入るという約束をした。
漫画とアニメとゲーム三昧だったので、このままでは体力的にも精神的にもヤバイと思ったからだ。
じつは私も中学時代は漫画とファミコン漬けの毎日で、そんな不健康な生活のせいか、
しまいには肩こりと腰痛に悩まされる悲痛な状態になってしまった。
やはり親子は似るのか(ーー;)
高校に入ると、筋力を付けるのに一番効果的そうなボート部に入部した。
情けないカラダも、ひたすら地味な筋トレとランニングのおかげで丈夫になった。
社会に出てからも、勉強よりあのトレーニングのほうが役に立ったと思う。
最初は私の勧める山岳部にしぶしぶ入った息子も、
いい仲間ができどうやら楽しい三年間だったようだ。
山岳部でアルプス合宿に行ったときの話を息子に聞いていて、
「学校では優しい顧問の先生が、山にいくと別人のように厳しくなる」
というようなことを言っていた事をヒマラヤに来てまた思い出した。
その話を息子から聞いたとき、遠足気分であろう生徒たちを連れて、
厳しい剣岳や穂高に引率する先生の苦労と心労が目に浮かんだ。
一歩間違えば命を落とす山に、経験が少なくリスクに対する
意識も低い高校生たちを何人も連れて登る。ものすごく大変な事だと思う。
私ならお金を貰ってもご免被りたいのに、ほぼボランティアで引率する先生方の
ご厚意には、想像するだけで本当に頭が下がる。
息子達は、山で貴重な経験をさせてもらったと思う。
彼らにその有り難味や先生方の苦労がわかるのはもっと先のことだろうが。
モディ・コーラという名前の川に沿って、高度を上げていく。だんだんと山深くなってきた。
今回のトレッキングでは、もちろん私がリーダーだった。
年齢や立場を除いても、山での経験やキャリアなどは私のほうが圧倒的に多いからだ。
息子には、責任者として計画を立てたり、皆を引率したり、単独で山に入った経験はない。
息子は、私の山のキャリアを全く知らないし興味もなかっただろう。
子供の頃から、遊び好きの父親のだらしない姿を見てきた彼からすれば、
私に対して、リーダーとしてリスペクトや信頼がないのは仕方がなかったと思うが、
山においての安全管理の面では実際かなり困った。
私には、四月から社会人としての生活をスタートする息子を
無事に日本に送り帰す義務がある。私と公の両方において。
保険に加入してきたとはいえ、事故があった時の搬送手段や病院の設備などが
日本とはまったく違い、手術や入院などになると事態は深刻である。
すこし安全面に神経質になりすぎていた私が、息子にはかなりウザかったとは思うが、
慎重すぎる事自体は、間違ってはいなかったと今でも思う。
息子は去年の夏、よく友達と行っていた六十谷のなんてない山道で転び、
運悪く尖った岩に膝を打ちつけてしまった。
救急車で運ばれ、手術をし二週間ほど入院した。幸いひざはほぼ完治したが、
なんてない山道の方が、気が緩んで逆に危険なのは登山本にもよく書いてある事だ。
さて話を、ヒマラヤトレッキングに戻そう。
息子は、思いっきり膝に負担がかかるような下り方をしていた。
一日の登山ならともかく、長期の縦走では大丈夫だろうかと不安だったので、
2,3度、膝に負担が少ない歩き方をアドバイスしたが無駄だった。
仕方ないと、そこは目を瞑った。痛みが出てければ、また彼なりに考えるだろう。
雨に濡れた石の階段を降りている時は、靴底を滑らさないように慎重に歩くのだが、
息子はときおり底を滑らして降りている、滑ることを予測しているから大丈夫なのは分かる。
なるべく滑らさないように注意するが、聞いてくれない。ちゃんと降りてるやろ!と息子。
私からすれば不安で見ているのがガマンできない、不用意なリスクは少しでも避けたい。
万一足首を軽く捻挫しただけで、この山がすべて終わってしまうかもしれないのだ。
雨の中、立ち止まり彼の足元を指差しながら「絶対に滑らすな!」とキツく言ってしまう。
お互い無言でにらみ合い、気まずい空気でまた歩きだした。
登山道の崖側が、ごくたまに崩壊している箇所があった。
私の斜めうしろで崖側の端を歩く息子に「崖側を歩くな!」と
振り向かずにキツく冷たく言い放つ。
カラダも疲れてきて、何かを言って腹を立てるのはもういやだった。
必要最小限の会話だけにしようと、しかたなく考えていた。
だが彼は崖側を歩くのを止めない・・・もうええわ、勝手にせいや。
「どこ歩いてもええわ!好きに歩けよ」 がまんの効かないリーダーだった(笑)
Himalaya(2920m) ゲストハウスは2軒。左に写っている宿の家族に値段をたずねたのだが・・。
疲れて最後はフラフラになりながら、なんとかHimalayaに到着!
左右に、二軒あるゲストハウスをどちらにしようか見てみる事にした・・・。
次回につづく!
2013年04月16日
ネパールへの旅 vol.10 チョムロン~ヒマラヤ
3月8日(金)
現地で書いていた日記を読みかえしてみても、この日の文章は
愚痴と弱音のマイナスオーラに満ちている。ええ年こいて情けない。
風邪や前日の疲れでカラダが、今までの旅や不自由なコミュニケーションで
ココロがかなり弱ってたのかも知れない。今から思えばの事だが・・・
ポカラに向かうバスに乗った日あたりから、息子の態度がおかしいのだが
はっきりとした原因は解らない。
まぁ元々日本を出発したときから、何を言っても冷めた態度と言動だったのだが。
この旅は彼にとって初めての異国で、言葉が通じない緊張感や遠慮のない
ネパール人達の視線、そして旅慣れずあまり頼りにならない父。
もともとナイーブな息子にとってはかなりハードな環境であるはずで、
そんな諸々の旅の疲れが息子を不機嫌にしているのだろうか?と考える。
「旅の疲れ」と言えば、もうひとつ忘れられない出来事がある。
ポカラのゲストハウスの食堂でパスタを待って座っていたところに、
荷物を預けて出かけていた若い日本人の女子ふたりが帰って来た。
昨夜、星を見に屋上に行った時に、先に居た彼女たちとお互い顔の見えない
暗闇のなかで挨拶をした。そのときは確かごく普通な感じだったのだが・・・。
「こんにちは」、テーブルの横に置いてある荷物をまとめる彼女たちに言った。
「こんにちは」とひとりが笑顔で返してくれる。
「ん?」もうひとりの女子が、しかめっ面で思いっきり顔を横にそむけたような
気がするが・・・?なんだ?
「バンダ」でタクシーが走っていないため、彼女たちは空港まで重い荷物を
背負って歩いて行くという。宿の夫妻にその事を嘆いている彼女たち。
そして私は「カトマンズまで飛行機ですか、暑い中たいへんですね」みたいな事を
言ったと思う。
「そうなんですよ~」と笑顔の女子、もうひとりは・・・また苦虫を噛み潰したような
表情で顔をそむけた。今度は気のせいじゃない、あまりにもあからさまだ。
おいおい!なにっ?戸惑う私。なにか悪い事言ったか?俺?
こんなに目の前の女性に嫌な顔をされたのは、人生初である。
あまりにもストレート!もしかして腹の具合か?たぶん違う、原因は私だ。
こんな反応をされるのは、自覚ゼロだがやはり私がオッサンになってるからか?
これから年をとっていくと、若い女子に気軽に話しかけたらこんな仕打ちも
ちょくちょく味わうことになるんだろうか?
うろたえながら色々なことを考え、「パスタができたら呼んでください」
夫妻に言って、逃げるように階段をおりて部屋に帰った。
息子とモメて気まずくなって食堂に上がったのだが、上でも若い女子に
やられてしまった(笑) となりのベッドでは、息子が背をむけて寝ころんでいる。
それを見ながら、息子といい、さっきの女子といい、「なぜそんな?」と考えた。
「旅の疲れ」、結論はそれに至った。主な原因は「旅の疲れ」であって私はその
とばっちりを食らっているのだと!わたしが「大人」だから八つ当たりを喰らってるのだ!
《 余談ではあるが、このエピソードをロジェでお客さんたちに語ると「マスターの視線が
きっとエロかったからや!」と一同一致に決め付けられた!
たしかにネパールで会う初めての若い女子、そして愛想の悪い彼女は悲しいことに
けっこうかわいくて巨乳ぎみではあった。
「いきなり胸をじろじろ見たからちゃうの!」とツッこんでくる常連さんたち、
断じてそれはない!と言い切っておいたが、皆ニヤニヤと意地悪な笑いであった。》
彼女達は旅が6日目だと言っていた、明日は日本に帰るらしい。
わたしたちはまだ4日目だが、息子も彼女もそろそろ「旅の疲れ」できっと心に余裕が
なくなってきているのだ。
「大人な私はそれを理解してあげて広い心で接してあげなければ」と・・・
考えがそこに至ったのだが、その時もたぶん今も私には無理な話である。
「ガキはめんどくせぇ!知らん!」これで終わる。開き直るわけじゃないが、
そんなに人間ができてはいないのだ。いつかできるようになるのだろうか?
無理かな、たぶん(笑)
くだらない話で今回は終わってしまいました。スイマセン
次回は山の話で!
食堂の窓からヒマラヤの8000m級が見えている、こんな大いなる場所にいて小さい事でモメたり
気にしたりする私達。あぁ・・
2013年04月12日
ネパールへの旅 vol.9 ナヤプル~チョムロンⅡ
3月7日(木)
突如ジープは止まって、皆が降り始めた。どうやらここが終点のようだ。
山の朝の空気はさわやかだった。
同乗していたガキんちょ達、なかなかイイ面構えである。
さぁいよいよトレッキングのスタート!
ジープで走ってきた道を、そのまま歩いて行けばガンドルンの村に着くはずだ。
「ノー!ノー!・・・・・・!」少し離れた所に座っている男たちが、何やら言っている。
どうやら彼らが指差している、道からそれた細いあぜ道が村へのルートらしい・・・
「こんなん絶対わかるかよ!」
メジャーなトレッキングルートだから、当然ルート標識などがあるものだと思っていた。
結局、今日の目的地チョムロンに着くまで、分岐などにルート標識はひとつもなく
その考えが甘かった事を思い知らされるはめになった。
コーナーを曲がると、いきなり遠くにヒマラヤの山々が!これからあの近くまで歩いて行くのだ。
仔ヤギ?
65000分の1が、いちばん詳細な地図だったので仕方がなく購入したが
地図が大まかすぎて、記載されていない分岐や道もありややこしい。
さっそくGHANDRUK(ガンドルン)の少し手前の川沿いに降りる分岐を見逃し、
村のなかに入ってしまう・・・。
モディ川沿いのNew Bridgeという集落を経由してChommrong(チョムロン)
を目指す予定だったのだが、Kimrongkholagoon経由の山中ルートにやむなく
変更することにした。
「等高線を見ればわかるやろ」と息子は言うのだが、この縮小図では10m単位の起伏など
まったくわからないのだ。
GHANDRUK発~Komrong~Kimrongkholagoon~Romi~Salanpru~Chommrong着
に変更!
Komrongという峠の集落に向かう分岐がわからず、他のグループのガイドや
地元の親子づれに、たどたどしい英語でルートを尋ねてみる。
「ノーガイド、ノーポーター?」心配そうな表情で彼らは聞いてきた。
このトレッキング中に何人に同じ質問をされただろう?、だがそれも無理もない・・。
ガイドを雇えば、ルートも食事も宿泊先の手配もまったく心配がなくなるし、
トレッキングエリア内の最新情報(盗賊やマオイスト、積雪の状態など)を
常に知ることもできる。
よけいな不安がない分、より深く自然や景色を楽しみながら歩けるだろうし、
ガイドから教えてもらう知識で、その土地についてのより深い理解をもたらして
くれるだろう。
そのうえポーターに重い荷物を持ってもらえば、口笛まじりに登って行けそうだ。
だけども、そうなるともう私にとって山に行く意味がほとんどなくなってしまう。
それぞれの山の楽しみ方があり、なにも苦労したからって偉いわけじゃない。
すべては個人の好みの問題だと思う。
自分達だけでルートを決め、その日の宿泊地を決め、重い荷物を担いで登る。
それが私の好みなだけだ。それに付き合う息子には心配をかけただろうが・・・
とかなんとかカッコつけても現実は、道もろくにわからず英語もヤバイ、
困ったジャパニーズやったんやろね(笑)
3~400m登り、川を横切る為に3~400m下り、また3~400m登る。そんな箇所が二回もあった。
せっかく高度を稼いだのに、下るのは精神的につらい!
昼過ぎくらいから小雨がぱらつき雷もなり始めた、変わりやすい天気にさらに山を実感する。
雨対策のザックの防水について、息子と口論になる。
むりやり私の意見を押し付けて、より強固な防水を施したが、結果としてそこまでする必要
はなかった。
息子に対してキツイ物言いになってしまったが、そのときは自分の心も余裕がなかったのか
なにかと反抗的で、こちらの意見を素直に聞いてくれない彼にムカついていたと思う。
雨で気温が下がってきた。夕方5時頃なんとかチョムロンに到着!
初日からけっこう体力的にハードだったが無事着けて一安心、
ここからゴールまではモディ川沿いの一本道だから、迷う心配はほとんどないはずだ。
チョムロン(2170m)のロッジにて、掛け布団はなく寝袋を使って寝る。
外観が感じよさそうだったので、宿の主人らしきオジサンに値段を聞いてみる。
素泊まりで一人300ルピー(約400円)で、温水シャワーもあるとの事。
ふたりとも汗と雨でべちゃべちゃである、シャワーはありがたい。
とりあえず部屋に荷物を降ろし、離れにあるシャワー室を見に行く。
なんやこれ・・・・こんな小さな給湯器は見たことないぞ(-_-;)
予想どおりシャワーキャップからチョロチョロ伝うぬるま湯に奮闘するはめに・・・
寒いっさむっ!カラダに付いた泡を流すのにも苦労しながら浴びる。
うぉーと叫びながら部屋に戻り、あわててカラダを吹く私を息子は冷ややかな目で
見ていたが、十分後、彼も震えて叫びながら部屋にとびこんで来た(笑)
早い夕食を、これは何の料理でしょう?やめといた方がいいんとちゃうと忠告したのだが・・・
ネパールの定番料理、「ダルバートタルカリ」をいただく。ちなみに息子が注文したのは「ドリア」
ダル(豆のスープ) バート(ご飯) タルカリ(おかず) おかわり自由である、全部カレー風味だった。
グルンブレッドまたはチベタンブレッドというらしい、ほんのり甘くて素朴な味で美味し!
咽喉の痛みは治まらず、すこし寒気もする。幸い熱はあまりないと思うのだが
明日からに備えて早いめに寝袋にもぐりこんだ。
19:00頃就寝
次回につづく・・・
2013年04月10日
ネパールへの旅 vol.8 ナヤプル~チョムロン
3月7日(木)
AM5:00 起床
咽の痛みは去ってくれず、やはり風邪を引いてしまったようだ。
このタイミングでツライ事になってしまった・・・(-_-;)
もし今日もバンダが行われるなら、サランコット(1592m)という山を越えて
ダンプスというトレッキング拠点の街まで歩く予定にしている。
AM6:00 知人のタクシードライバーに電話をしてくれてるクリシュナさんの
ネパール語のやりとりをじっと見詰める。どうやらバンダは中止らしい!
AM7:00 ご夫妻に見送られながら、予約してもらったタクシーに乗り込む。
「けっこう重いですね!」息子の50Lザックを持ってくれたクリシュナさんが
心配そうな顔をしてくれている。彼はほんとに優しい人だ。
たしか昨日も奥さんが、雪山の経験はありますか?と優しく聞いてくれていた。
それも無理はないだろなと思う。
アウトドアに縁遠そうなオヤジとその息子、ほとんど会話がない二人。
前日、大声で怒鳴りあいをしてたのもたぶん聞こえていただろう、
英語もダメなうえに、ガイドもポーターも雇うことなく山に行く我々を客観的に
見ればかなりヤバそうに思えるはずだ。
実際、わたしもかなり不安なのだから・・・。
出発前、奥さんに日本の連絡先を教えといてほしいと言われる。
「もし帰ってこなければ、預かっている荷物をそちらに送らせてもらいますね」
一瞬ハッとしたが、「そういえばそうだな」と納得する。
強盗の被害報告やマオイスト達による不法な通行料の請求など、
メジャーなトレッキングコースとは言え、山の事故以外にも危険は多いらしい。
いい意味で、さらに気が引き締まった。よし行くか!
カトマンズで購入した、6万5000分の1の地図。Nayapulまで一般道が走っている。
AM8:00すぎ 拠点の街、ナヤプルに到着。朝早いからかトレッカーは自分たちだけだった。
ナヤプルのメインストリート、さぁいよいよやなと不安と緊張感が高まる。
タクシーから降りてすぐは、緊張からか足元がふわふわした感じで思考もまとまらない。
息子の方は、どう感じてるのだろうか?
メインストリートを歩いていると、ようやく少し気持ちが落ち着いてきた気がするが・・。
通りの先を見ると、大型ジープを囲んで人だかりができていた。
あれが情報に聞いていた乗合ジープだろか?
ガンドルンという村の手前くらいまで、荷物や人を運んでいるという。
ジープに乗れると2~3時間の退屈な林道歩きを省くことができる。
「ガンドルン?」とドライバーらしきイケ面の若者が聞いてきた。
「イェ、ハウマッチ?」と私、二人で1000ルピーだと言う。
相場がまったくわからない、600でどうだ?と言うと顔をしかめた。
けっきょく800ルピーで手を打ったが、
「しょうがねぇなぁ」というジェスチャーの割には、
そむけた顔がニヤニヤしてる・・・わかりやすい兄ちゃんだぜ!
私らは、ラッキーな客なんだろな。地元の子供たちはいくらなんだろ?
たいした額じゃないが、イケ面がデカイ態度なんでなんか悔しい。
前列には、息子とおばさんとドライバーの兄ちゃん。
二列目に地元のおじさん、おばさん、私、そして私とドアとのわずかな隙間に
小さい地元の女の子。せまくてかわいそうだったが、ぎちぎちなんで仕方がない。
後ろの荷台にはヤンチャな男子三人と大量の荷物。
詰め込めるだけ詰め込んで、けっこうなスピードで走る走る!
しっかりどこかに掴まってないと天井に頭をぶちつけてしまう!
根拠はないがたぶんこのクルマは安全で大丈夫だ、スリルがあって楽しい。
無表情で前を見ている息子は、どう感じているんだろうか?
ではまた次回に!
2013年04月08日
ヒマラヤトレッキング,ネパールへの旅 その7
3月6日(水)
宿の近所のレンタサイクル屋の若者たちは、最初から愛想が悪すぎた。
他の店を探すのが面倒で、ぶっきらぼうな兄ちゃんがオススメだという
自転車を借りたのだが、走り始めてすぐに後悔することになる・・・。
わざとハズレをすすめたとしか思えないぜ、ファッ~ク!
ママチャリ用のサドルでペダルが歪んでるのはガマンできたが、すこし走るとサドルが上に突き上げ
てくるのと、ペダルを強く踏むとチェーンが外れ、手が油まみれになるのにはまいった・・。
湖で漁をする親子たち、父親が投網を水面に打っていた。
息子さんが日本で働いていた事があるという老人と互いに怪しい英語で話す。そばにいたシャイな
子供たちは、この後、私たちの自転車を笑いながら走って追いかけてきた。無邪気でいいなぁ~と
思ったのも束の間、老人が見えなくなると突然「マネー!マネー!」と叫びながらしつこく追いかけて
きた!たくましいもんだとおもわず苦笑。
サイクリング中にも、いろいろと行き違いがあり
朝から機嫌の悪い息子が、とうとう一緒にいるのが嫌になったのか
昼12時頃に宿に帰るから、ひとりにしてくれと言い出した。
別にその提案は全くかまわない、こちらも一人は一人で大歓迎である。
しかし私は私なりに、どうも反抗的な息子と何とかうまくやっていこうと
苦心していたつもりだ。
なぜにそんな態度なんだ?さすがに腹立たしく、無性にムカついてきた。
「思春期めんどくせ~ぞ!」とさけびながら、その勢いでレンタサイクル屋に乗り込み
「ヘイ!こんなもんチェンジやチェンジ!」とサドルを手で叩きまくって、
兄ちゃんとにらみ合いながら交換してやった。なめんなよコラ!
おばさんたちが、おしゃべりしながら洗濯物を干していた。ネパールはかなり空気が乾燥している。
湖を眺めている、親子づれ。太陽の下にいると汗がにじむほど暖かかった。
ムカついたマイナスの感情のまま、街を走りまくったのが悪かったのか、
昼に宿に帰ると悪寒を感じ、のども少し痛くなってきた。
「やばいなぁ、これから山に入っていくのに・・・」と不安になり、息子やレンタの兄ちゃんに
対する負の感情が風邪の原因を作ったのだと、反省する。
帰ってきた息子と、山に向かうにあたり、宿に預かってもらう不要な荷物の事で
また揉める。軽量化に対する考え方にかなり差があった、私も神経質すぎたのかも。
互いに無言の気まずい雰囲気で、宿の夫妻に作ってもらったトマトソースのパスタを
いただく。
ご主人のクリシュナさん曰く、明日も「バンダ」の可能性があるという。
日数に余裕があるとはいえ、さすがにこれ以上時間を無駄にするわけにいかない。
明日の行動をどうするか悩みながら、ふとんにくるまり夕方まで横になる。
あすの朝6:00の時点でしか強制ストが行われるかどうかは判明しない、
体調回復とバンダが中止になることを祈りながら、ひたすら睡眠に努めた・・。
お待たせしました。次回から山に入っていきます。
2013年04月03日
ヒマラヤトレッキング,ネパールへの旅 その6
3月6日(水)
「バンダ」とはネパール語で、閉じたという意味です。
それがストライキと同じ意味合いで使われているようです。
NepalBandh.com(ネパールバンダ最新情報サイト)
バンダは指令する団体によりいろいろありますが、
中身は交通機関・学校・商店・会社の「休業・休校」で市民生活がマヒします。
マオイストのバンダの場合は「休業・休校」が自発的なものではなくて強制的に行われます
(営業していると石を投げられたり、報復されたりする場合があるので皆、休みます)。
「マオイスト」 ネパール共産党統一毛沢東主義派
政治的思想・立場
共産主義
マルクス=レーニン主義
毛沢東思想
「バンダ」が行われるかどうかは、当日にならないと分からないらしい。
昨夜遅く、宿のご主人のクリシュナさんが知人のタクシードライバーに電話して、
バンダが始まる朝6:00になる前に、トレッキング拠点の村「ナヤプル」まで
私たちを運んでくれるよう交渉してくれた。運賃は相場の3~4倍だったが・・・
交渉の結果、早朝4:00にナヤプルに到着で良ければ4000ルピーで運ぶとの事。
金額はともかく、どんな村かも知れない場所で夜明けまでの2~3時間を待つのは
、危険で退屈だと判断し。丁重にお断りした。
朝5:00頃起床
6:00にクリシュナさんに電話でバンダ情報を聞いてもらった。
やはりこの日は夕方6時まで強制ストライキらしい・・・。
自ら歩いて山を越えて「ダンプス」という、もうひとつのトレッキング拠点
の村まで行く選択も考えたが、8時間以上歩くのと、もし明日早朝タクシーに
乗れればそんなにスタート時間が変わらないのと、一日くらいゆっくりしたいと
いう息子の意見もあり、今日一日はゆっくりポカラ観光することにした。
いつまでも起きない息子と朝から一揉めして、一人で街に出かける。
少し歩いてレンタサイクルに向かう。自転車を借り、一人で観光をしようと
思ったが、思いなおして宿に戻り、気が進まなさそうな息子を連れ出して
二人で自転車を借りに行った。
おせっかいすぎで、そっとしといてあげたほうが良かったなと今なら思う(-_-;)
街のメインストリートでは、うるさいクルマやバイクもなく、
子供や大人もサッカーやバトミントンで遊んでいる。
ネパールに来て初めての長閑な街の空気に、
観光するなら「バンダ」もそう悪くないなぁと思った。
ポカラの街は、そこらじゅう牛がのんびり闊歩している。慣れたらすぐに当たり前の風景になる。
五分も走らないうちに、のどかな湖畔沿いの道になり、気持ちよくサイクリングを
楽しめる・・はずだったんだが!
私のほうの自転車が・・・(別にたいしたオチはないですが、出勤時間なので次回に!)
2013年04月02日
ヒマラヤトレッキング,ネパールへの旅 その5
3月5日(火)
カトマンズ~ポカラ間は約200km、片道400円くらいのツーリストバスで
7時間ほど。
私たちが前日に予約したのは、約900円のデラックスバスで6時間ほどで着くらしい。
デラックス?外見は新しそうに塗り替えていたが、車内に乗り込んでみると
おそらく日本なら廃車にされているでだろう年季の入ったバスだった。
朝7時ごろ出発。車窓からカトマンズ郊外の慌しい雑踏をながめていると、
気分はまるで「深夜特急」のドラマで主役だった大沢たかお。
娘から借りてきたウォークマンで、ドラマの主題歌だった陽水の「積荷のない船」を聞くと、
ぞわぞわぞわっとカラダに震えが走った、涙腺もすこしゆるんでしまう。
心が過剰に反応すると体が震える、忘れかけてたくらい久々の感覚だなと思い、
「来てよかったな」とあらためて思った。
凸凹の多い路面の衝撃に、乗客のカラダは上下に跳ねる。ほぼノーサスペンション!
パラリラパラリラ!なにかの挨拶なのか?暴走族のようなクラクションを鳴らしまくる
地元民ぎっしりのカラフルなオンボロバス。
狭い道路なのに、無理矢理、追い越し追い越されを繰り返すクルマたち。
正面衝突寸前まで突っこんで行く!よく事故らずに走ってるもんだ(-_-;)
渋滞してるところに、反対車線を走り、突っこんで行く乗用車でさらに渋滞!
結局、ポカラに着いたのは8時間以上たった15時半ごろだった。
16時に受付が終了するネパール観光局に、急いで向かい
TIMS許可書とアンナプルナ保護区入域証というものを申請する。要するに山の入場料だ。
私の拙すぎる英語のせいか、高圧的な役人のあきれ気味な対応・・・かなり冷たい。
焦りの汗をかきながらも、何とか証明書を発行してもらえた。
くそ~!英語ができれば、帰り際に軽くイヤミなジョークでも言ってやれるのに!
その後タクシーを拾い、「空ゲストハウス」という宿に向かう。
ネパール人の旦那さんと日本人の奥さんが温かく迎えてくれた。
いい宿にめぐり合えて、このあとポカラではずっとここでお世話になる。
清潔な部屋で温かく水量があるシャワーを浴び、やっと一息をつく。
ここではクラクションも街の騒音もほとんど聞こえない。
朝からハードな移動とストレートなネパール人たちと、なぜか不機嫌な息子の態度・・・
さすがに今日は疲れた。
夕方、街に出て、イタリア料理店でピザとパスタを食べる。
夕暮れのフェワ湖あたりを歩いたあと、アイスを買ってポカラのメイン通りを眺める。
明日はトレッキングの出発地までタクシーで移動する予定なのだが、
宿の夫妻の情報によると、「バンダ」という強制ストライキのため交通機関がストップ
するかも知れないとの事。さてどうしようか・・・