2013年05月30日

ネパールへの旅 vol.23 パティパシュナート寺院



3月15日(金)


パシュパティナート


カトマンズにあるシヴァ神を祭るネパール最大のヒンドゥー教寺院。

シヴァが滞在したとの言い伝えのあるこの地は、


はるか1500年以上も昔から巡礼の地となっており、


ヒンドゥー教が国教であるネパールでは最高の聖なる地である。





寺が面しているバグマティ川には、隣接した火葬台を複数備える火葬場があり、灰は川に流される。

バグマティ川は、ヒンズーの聖地である。






インドのバラーナシを流れるガンジス河に通ずる支流にあたるため、ここのガートで荼毘に付せば

母なる大河ガンガーへと戻ってゆくと考えられている。




ネパールに来て、今日でもう13日目。


明日の夜は、日本へのフライト。まる一日過ごすには最後の日になった。


眠たそうな息子を起こし、早朝からパシュパティナート寺院に向かう。


カトマンズで最も訪れたかった場所であり、最もネパールらしく、日本の日常から


かけ離れたものが、そこに行けば見れるような気がしていた。



川原で焼かれる遺体の姿や肉の焦げる匂いを、息子と共に体感したいと思った。


そんな悪趣味な好奇心の意味を問われても、上手くは答えられないのだが・・・。



神の存在や死について、18歳の息子がどう考えているのかはわからない。


聞いてみたいともあまり思わないし、そのような事について、


二人で話し合う機会はこの先も一生ないかもしれない。



 

「ジョジョの奇妙な冒険」へのオマージュらしい。



息子を旅に誘った理由は沢山あった。


どんよりと平和な日本の地方都市に暮らし、ゲームとアニメと漫画に浸かりきった、


彼の脳みそに、体験したことのない異物な刺激を与えたかったのもそのひとつ。


4月から家を出て社会人としての生活が始まり、そして過酷な訓練が待っている。


常に自己判断が問われ、行動にリスクが伴う旅の日々を過ごすことで、


少しでもタフになって欲しかった


そういう意味では、オヤジがまったく旅慣れていないことが、思わぬ功を奏したようだ(笑)



 

みんなでラジオ体操?



残念ながら、パシュパティナートは全くといって厳かな場所ではなかった。


遺体を焼いている人たちはなく、修行をしているサドゥーもいなかった。


そこら中で、バトミントンやジョギング、筋トレやストレッチなどをする地元の人たち。


すっかり市民の憩いの広場といった感じである。


ヒンズー教徒しか入れない場所がいくつかあって、その中は興味深い様子だったが・・・。


もしかしたら夕方に来ていれば、また違った景色が見れたのかもしれない。



 

ここにも我がもの顔のサルたちがたくさんいた。がっかりしながら帰路につく。



昨日の朝と同じ店で、オムレツサンドとカプチーノを食べる。美味し。



 

息子の買い物につきあって、街にでかけた。セト・マチェンドラナート寺院にて



帰り道にビールを、息子はチョコウェハースとレッドブルを買って、ゲストハウスの屋上に上がった。


強烈な真昼の日差しに目を細めながら、殺風景なカトマンズ市内をぐるりと一望し、


旅の終わりを思って、感慨深くなる。


そろそろ息子も私も、旅に倦みだしてきたようだ。またお互いに口数が少なくなった。







ネパールに来て初めて名物料理のモモを食す。ネパール版ギョウザ、皮が分厚いのが難点。



晩飯までの時間をもてあまして、街をぶらつく。日本の古本屋でマンガを吟味する息子。

「カメレオン」というヤンキー漫画と「セーラームーン」の2冊を買っていた。なぜにそのセレクト?

私とは漫画の趣味がまったく合わない。



最後の夜も日本料理に(笑)、「ふる里」というしぶいネーミングの店で。



ネパール最後の晩飯を、ツボルグで乾杯。


しかしツボルグはよく飲んだ、思い出のビールになってしまった。


ウタが「ナマズの蒲焼き」、「砂肝焼き鳥」、「白ご飯」を、


私が「親子丼」と「焼きなす」を頼んだ、店員のネパール女子が元気でいい感じだ。



あいかわらず、貪るようにがっつきながら食べる息子を見て、


「まぁ、ゆっくり食べなぁよ」と、この旅で十回以上言ったセリフを繰り返す。


息子は、まったく意に返す様子もなく「カツ丼も頼んでいい?」



モノの食べ方については、他人のことをまったく言えない私だが、


あまりにも見映えが悪く、一緒にいるのが恥ずかしいのでやめてくれ!


と言おうとしたが、止めておいた。


「どうしても、ゆっくり食べれやんのか?」と抑えて聞く。


「無理!」


「そうですか・・・」、以前の私ならキレていた場面だろうな(笑)



このあと、地元のバンドが演奏している「ロック・バー」にでも行って、最後の夜を


共に酒でも飲もうと思っていたが、それも止めておく事にした。


カトマンズに来たばかりに行ったバーでのポップコーンの件も思い出して、


「十年早いな」とまた独りごちる。



今夜はとことん飲んでやろうと思っていたが、そんな気分でもなくなった。


明日も早起きして、「ボダナート」というチベット仏教の聖地に行くことにしよう。


当初は行くつもりもなかった場所だったのだが。



次号につづく・・・




  



2013年05月23日

ネパールへの旅 vol.22 カトマンズ散策



3月14日(木)


AM5:00起床。まだ外は真っ暗で、街は静まりかえっている。


時差が3時間15分あるから、日本は朝の8時15分か。


いまごろ娘達があわただしく登校しているんだろうな、早く会いたくなってきた。



街中でも一日に約8時間停電する。予備バッテリーからの薄暗い照明が逆に好みだったりする。



なかなかお湯が出てこない上に温度調節が毎回変わるシャワーにも慣れてくるもんだ。


昨夜も遅くまでフロントのスタッフ達と喋っていたのか、寝息をたてて熟睡中の息子を置いて


薄明るくなった早朝のカトマンズの街にくりだした。


とりあえずの目的地は、スタッフのスーザンお薦めのスワヤンブナート寺院。


地元ではモンキーテンプルと言われている、カトマンズ最古の寺院だという。



通学中の女子学生。いつもゴミを焼いている場所なのだろうが、シュールな光景だった。



仲のよい野良犬とニワトリ。



河原もナイロン、プラスティック系のゴミだらけ。排気ガスとゴミは深刻な問題だという。




ヒンドゥー教の石像や祠のようなものが、街中のいたるところにあった。


お年寄りはもちろん。通勤、通学途中の若者までが立ち止まってお祈りを捧げたり、


石像にサッと手をふれて歩いていく。誰もがごく自然な毎日のことのように。




ヒンドゥーにはいろんな神様がいる。この神様はなんだろう?



寺院に向かう坂道を歩いていると、祈りの合唱のような音楽が聞こえてきた。


山頂付近のスピーカーから大音量で流しているようだ。録音されたものかリアルタイムかは


わからないが、来た道を振り返って、早朝の街の風景を眺めると、妙に心に響く。



日本から持参の、ペットボトルに入れたお気に入りのシングルモルトを飲みながら歩いた。


朝から参拝しに行くところなのに不謹慎のような気がしたが、ネパールでは許されている


ような空気が流れている。日本の寺社仏閣のような厳粛さがまったくないのだ。


ネパールの神様たちも細かい事は気にしないはずだ、都合のよい勝手な解釈だけど(笑)




カラフルな仏像に寄り添う猿たち。堂々とのびのびと暮らしている感じだった。



寺院へと続く急階段、登っていくごとに合唱の声がだんだんと大きくなっていく。



ストゥーパと呼ばれる仏塔。地、水、火、風、空という宇宙を構成している5大エネルギーを象徴

しているという。すべてを見通すブッダの目が書かれている。



俺を撮ってくれ!と言ってきたファンキーな親父。合唱に合わせて気持ちよく踊っていた。




山頂からは、カトマンズの街が一望できる。太古の昔は湖だったらしく、


この寺院はその頃からあるらしい。


ストゥーパの近くにある建物のなかで、信者たちが祈りの歌を合唱していた。


よくわからないタイミングでオッサンが吹く法螺貝が鳴る、やはりどっかアバウトな空気が


ネパール風でいい感じである。










ゲストハウスに戻って、息子を起こす、まだ朝の8:00だ。


「モンキーテンプルは案外良かったよ」、と言ってみたが予想どおりの関心のない返事。


まぁお寺や宗教に興味が持てる歳じゃないのが当たり前で、だから私一人で行ったのだが、


できれば息子にも見て欲しかった気がした。




パンパニケル・ベーカリーというカフェでパンとオムレツの朝食、落ち着いた店内がベリーグッド。




もうおなじみのバンダで、この日も夕方まで交通機関がストップするという。


予定を変更して、息子と一緒におみやげを買いに出かけた。


互いにゆっくり時間をかけて、家族や友達たちへのおみやげを選ぶ。


和歌山に帰ったら、現地の衣装で友達に会いに行きたいと息子が言い。


「これってどうかな?」と嬉しそうにコーディネイトを聞いてくる、若者は買い物好きなんだな。




「ガーデン・オブ・ドリームス」、1920年に造られた宮殿の一部を改修したらしい。騒々しいタメル

地区にある静かなオアシス。



暑かった日中も、夕方になると涼しい風がここちよく吹いてきた。湿度が低いからか汗はかかない。




夕方、晩飯にはまだ早いという事で、ゲストハウスの近くにある庭園に行くことにした。


私は、日本から持ってきた小説も読む気にもなれず、昼寝を決め込み、


息子は、なぜかゲストハウスにあったゴルゴ13を読んでいた。しかしシブいチョイスだな。




抱き合っていちゃつくカップルの横で、ゴルゴを読み耽る息子。




晩飯は、日本人オーナーのカフェでトマトチキンカレーと和風大根パスタを食べる。


食後の珈琲も美味し。「ちゃちゃかふぇ」というカワイイ名前の店だがスタッフ達はいかつい


ネパール人。エベレストにも登っているというオーナーは不在だった。




すっかり早起きサイクルになり、晩飯のビールを飲むと早くも眠気がやってくる。





旅の始めにカトマンズに寄った時からずっと、自分用のグルカナイフを探すのに夢中に


なっている息子。


すっかり街にも慣れた様子を見ていると、頼もしくなったもんだと素直にうれしい。




あきれるくらいに根気よく値段交渉をする息子、ネパール人の店主に同情してしまう(笑)




少し飲みたりなかったので、ビールを買い込みゲストハウスに戻る。


今日も一日中、飲んでばかりになってしまったな。(ーー;)


明日は息子を連れてパシュパティナートというヒンドゥー教の寺院に行く予定。


インドのように、川沿いで火葬しているという。今回いちばん楽しみにしている場所である。



次号につづく・・・  



2013年05月17日

ネパールへの旅 vol.21 再びカトマンズへ


3月13日(水)


あまり眠れないまま、二時間ほどの浅い眠りで朝を向かえてしまった。


今日は朝7時のバスに乗り、カトマンズに出発する予定になっている。



私の枕元になにやら袋が置いてあり、中を開けてみるとナイフが入っていた。


どうやら息子からの誕生日プレゼントのようだ。


昨夜はこれを買いに行ってたのか。拙い英語で値段交渉する息子の姿が眼に浮かぶ。


パンツ一丁のままこっちに尻を向けて寝ている息子を眺め、


これがツンデレっていう奴なんかなと笑ってしまった。


男にしておくのは惜しいな、なかなかおっさんの扱いに長けてるやないの。



よし!今日も天気がよさそうだ。43歳の誕生日はいい感じでスタートした。



現地では「ククリ」と呼ばれ、英語ではグルカナイフというらしい。山のテント泊に持っていこう。



今日もまた、共産主義者たちによる強制ストライキが行われるようだ。


バスが定刻に出発できるかどうかも怪しいとの事。


まぁどちみち今日は移動日だから、夜になってもカトマンズにさえ着ければいいのだが・・。


徒歩で移動するため、早いめにゲストハウスを出発したが、


大通りでこっそり客を待っている、モグリのタクシーを捕まえた。


相場の三倍くらいの値段だったが仕方がない。



せわしなく周りをキョロキョロしながら、急発進するオンボロタクシー。


大通りを歩く人達や自転車を縫うようにして走りながら、飛ばしまくる。


まるで犯行現場から逃げる窃盗団のようだ。


マオイスト達の投石を恐れているのかもしれないが、ドライバーは変にテンションが高い。


無事バスターミナルに到着、歩けば結構な距離だったのでラッキーだった。



まだ新築に近い「空ゲストハウス」、部屋も清潔でポカラに行く人にはぜひオススメです。



ネパールに関する本も出版している山岸さんとかわいい顔のクリシュナさん、お世話になりました。



またバンダでタクシーがなく、歩いてバスターミナルに向かう。焼きたてのチョコパン美味し



色とりどりのバスターミナル。



どうやらマオイストが先導する強制ストライキで、9時にならないと出発できないと言う。


所在なく二時間をやりすごす、こんな遠くに来てまでも赤い大国の影響を受けてしまう事に


うんざりしてしまう。この先息子の仕事にも大きく影響してくる存在でもある。


もちろんすべての日本人にも。



休憩で止まったドライブインで、標高400mくらいのこのあたりはまるで南国のような暑さだった。



日差しの強さがあきらかに日本とはちがう。色ひとつひとつが鮮やかでなにやら心がざわつく。



荒れた路面の凸凹でカラダを上下に揺すられながら、窓を開けてのどかな風景を眺めた。


座席には余裕があって、息子は反対側の窓際に座り首をふられながら器用に寝ている。


ネパールだけじゃないのだろうが、南国の光は人を安心させるやわらかさを感じる。







そしてまた、土埃と排ガスとクラクションもなんとなく懐かしいカトマンズに帰ってきた。


「シェリーチベットゲストハウス」に連泊する事にして、スーザンとの再会を喜び合った。


あいかわらずファンキーで陽気な兄ちゃんだ。笑顔がかわいい。



四階の眺めのいい部屋に、荷物を降ろしてベッドに腰をかけるやいなや、


眼鏡をバスに落としてきたと息子が言う。


そういやバスから降りてくるのが変に遅かったのは、眼鏡を探していたからだったのか。


「なんで、あの時言わんねん!一緒に探したのに」と思わずカッとなりかけてしまったが、


ここは冷静になり、とにかくフロントに行ってスーザンやスタッフ達に相談しようと提案した。


「コンタクトがあるから別に要らんと思った」、「べつにもうなくてもいいやろ」という息子。


メガネはお前のお金で買ったものじゃないし、帰ってから新しく買うのも自分の金じゃないだろう。


そう思ったが、息子には言わずにおさめた。


来月から自分で稼ぐようになったら、ありがたみがわかるだろう。たとえ何千円のメガネでも。



写真が趣味だという大阪のナツコさん、スーザン、人ごとみたいな息子



フロントのスタッフ達は、「俺達にまかせてくれ」とバスの切符を頼りに


いろんなところに電話をかけてくれ、どうやら郊外のバスターミナルに私らが乗ったバスが


止まっていることをつきとめてくれた。


「よし、いまからターミナルに行こう」とスーザンが案内してくれると言う。


ハプニングもなんか楽しくなってきた。



何回も電話をかけたり、ガードマンに尋ねてくれるスーザン。すっかり他人事のようなバカ息子(笑)



途中、大阪出身だという一人旅の女子と出会う。二ヶ月近くもネパールを旅して今夜日本に帰る


らしい。ほんの十分程度だったが、タフで明るい彼女の話は面白かった。


大阪で写真の個展をするかもしれないそうで、その時はぜひにとサヨナラをした。


ネパールに来て初めてまともに日本の女子と出会えたなぁ、と息子に言う。


「まぁこれもメガネをなくしたおかげかな」、頭ごなしに怒らなくてよかったなと思った。



窓からの景色、夜になると快適に涼しい。前のディスコ?の大音量に悩まされる・・・。



スーザンやスタッフのおかげで無事メガネも返ってきて、めでたしめでたし。


晩飯は、近くにある「桃太郎」カトマンズ本店。軟弱だがもう日本食から離れられない(笑)




次号につづく・・・


  


2013年05月14日

ネパールへの旅 vol.20 ポカラの休日②


3月12日(火)


ゆったりとしたポカラの街で今日一日くつろいで、


明日はまた、カトマンズまでオンボロバスでガタガタ道の移動日の予定だ。


そして明日になると、私はまたひとつ歳を取り43歳になる。なってしまう。


まぁ42も43も何て変わることのない数字なのだが。旅の途中で誕生日を


迎えるのはちょっとロマンチックで嬉しい。



お気に入りの湖畔沿いの道を走る、とおくにポカラの観光街が見えている。



18才の息子に対して、また逆上してキレてしまった事を情けなく恥じながら、


42のオヤジは、人気のない静かな場所を求めて自転車を漕ぐ。



「なぜそれが良くない事なのか」を頭で考え、整理して理屈として伝えようとしても、


本人を目の前にすると感情的になってしまい、いつも筋道を立てて諭すことができない。


私にとって息子と真剣に対峙するのは、結構しんどい事なのだ。


自分が己というものをいかに持っていないのかを、日頃いかに物を考えていないかを


見せつけられる事になってしまうのがツラかったりする。


この歳になっても、いまだに心が不安定で、確固たる思想も座右の銘もなにもないのだ。


偉人の自伝を読んでは興奮し、感動のドキュメンタリーを観てはすぐに感化されてしまう。




草のうえに座り、またリピートして「積荷のない船」を聞く。風がほどよく吹き、日差しはやわらかい。





昔からいつも私は、他人にはっきりとした進言や意見を言えない。


義務や責任からなるべく逃げて、ふらふらとだらしなく生きている私には、


誰かに語ったり教えたりする資格はまったくあるとは思えないのだ。


学校の先生や医療関係の人たちや現場で汗して働く人たち、


世の中には立派に生きている人達が結構いて、息子には、そんな人達と出会い


影響を受けてほしいと願う。





湖で漁をする女子、日本ではまず見られない渋い光景である。



正直、私より子供たちの方がはるかに人間としての品格を感じる。


素晴らしい母親の愛情を受けた三人は、嘘やズルさがなさすぎて心配になるほどで、


特に、まじめでストイックな二人の娘たちへは尊敬の念があり、日頃も頭があがらない。



そんな私が、息子の目を見て堂々と語れないのも無理はないのだ。開き直ってやる(笑)


つくづく自分は父親向きじゃないなぁとあらためて思わされる旅である。



遊び好きで、美味しい酒や飯、女子への関心が脳みその大半を占める事を


ばれないように隠して棚に上げながら、しらじらしく父親づらしても、


もしかして子供は本能的にうっすらと見抜いているのかもしれない。


まぁ気が楽だから、それでも別にいいんだけど。




これ以上行けないところまで自転車で進んだ。マウンテンバイクはけっこう楽しいもんだ。



カフェにてまたビールと持参のスコッチを飲み、買い物めぐりをしているであろう息子と偶然あえれ

ばとメイン通りを眺める。いい店だったのでまた晩飯のあと一緒に来ようと計画する。



ほろ酔いでごきげんになり街を闊歩しながら、宿に戻り鳥の声を聞きながら昼寝をした。



五時に宿に帰ってきた息子に、朝の事を謝り、また桃太郎へ向かう。


互いに無口なまま、カウンターから通りで遊ぶ子供たちを見ながらビールを飲む。



すっかり日本食なわたしたち。





もくもくと食事する私達の目の前で、少し恥ずかしそうにしながら無邪気に踊る女の子。


ふと息子に聞きたくなって、話しかけてみる。


「なぁ詩、小さい頃のいちばん古い俺との記憶ってなんだ?」


「わからん」


「・・・じゃあ、オカンとのいちばん古い記憶は?」


「・・・・・」


「ないのか?」


「ない」


「食ってしもたから、もう買い物に行ってきていい?」


「・・・じゃあ九時までに宿に戻れよ」



なんだかうまくいかないもんだな。(-_-;)


小さかった頃の息子に雰囲気の似た男の子を見ながら、残りの飯を食った。





昼間と同じ席に座り、暗くなる通りを眺めながら、同じくビールとスコッチを飲む。


前の席のヒッピー風の白人が、しきりにウロウロして怪しい。ウエイターも迷惑そうにしている。


どうやら立て続けに吸っている紙巻はタバコじゃなさそうだ。





突然、振り向いて私の顔を見つめて、「日本の地震はとても悲しいことだ」と言ってきた。


目に涙をためて悲しそうな顔をしている孤独そうなヒッピー。たぶんいいヤツなんだろうな。


「トウホクはもう大丈夫なのか?」


「大丈夫だ、少しづつ復興しているよ」と手のひらを右肩あがりに動かして日本語で言った。





宿に戻り、早い目に布団にはいるが昼寝のせいか全く寝られない。


食堂からは、クリシュナさんと息子の話し声が聞こえている。


もう何時間も楽しそうに話している、いろんな話しを聞かせてもらっているのだろう。


旅で出会う人たちと積極的に触れ合おうとする息子が頼もしくて嬉しい。


明日からは、もう少し息子と距離を置き、彼が色んな人たちと触れ合える事を


さりげなく見ていてあげようと思った。


別に拗ねているわけではなくその方が彼にとってずっといい事だろう。


日付が変わった時計を、うとうとしながら見て、なんかサエない誕生日を迎えたなと


枕もとのウイスキーでひとり乾杯した。



次回につづく・・・



  



2013年05月11日

ネパールへの旅 vol.19 ポカラの休日


3月12日(火)


AM5:00起床


息子は、まだ熟睡しているようだ。


昨夜は遅くまで宿のご主人のクリシュナさんとなにやら話していた様子だった。


二人はなぜか気が合うみたいで、後々聞いた所によると彼のお気に入りの


エベレストビールを結構ごちそうになったりしていたらしい。


酔った二人でどんな話をしてたのだろうか、なんとなく微笑ましい図が浮かぶ。


私が話しかけたり、持参のスコッチを勧めたりしても微妙に笑顔でフェイドアウト気味な


クリシュナさんだったのに・・・(笑)



朝焼け。ゲストハウスの屋上から。ポカラは今日もいい天気になりそうだ。どこからかニワトリの

古典的な鳴き声が聞こえてくる。



洗面所の照明が暗すぎるので、奥さんに鏡を貸してもらって髭を剃る。朝日は確かに目によさそう




昨夜の会議の結果、今日は夕方5時まで自由行動となった。


「桃太郎」という日本料理屋の朝定食は7時から、それまで湖畔沿いでも散歩しよう。


寝ている息子を置いて、早朝の街にくりだした。


子供のころの夏休みの朝のような太陽の光と空気感。そういやジャリ道の感触も懐かしい。




遠くに霞むマチャプチャレ。あのすぐ近くに行ってきたんやなぁと、親しみと少しの優越感。



朝めし食べたら、また自転車を借りる予定。今度は良心的なレンタル屋を吟味しなければ。




珍しく向こうから話しかけてきた若者、日本に行くのが夢らしい。私の帽子をえらく褒めてくれた。



通学バス。現地の子供たちはカメラを向けるだけで楽しそうにはしゃいでくれる。かわいいもんだ。



もうすぐオープンの「桃太郎」に向かって、街の大通りを歩く。


こんなに早朝なのに、地元の住民たちは、何をするわけでもなく通りに出ている。


テレビがない時代の日本も少し似た感じだったのだろうか。


止まっているクルマの周りに人が群がっていた、軽い接触事故のようだ。


やがて警察がやってきて、強引ぎみな大岡裁きで一件落着?


なんにしてもどこか長閑な空気が流れる、ネパール。






フルオープンな店構えの桃太郎。店長のお兄さんもフレンドリーで日本語が上手だった、オススメ




メニュー写真を見てるだけでテンションがあがる!およそ300円の朝食セットを頼んだ。



野菜炒めも玉子焼きも旨し!にぎやかな通りを眺めながらの和食、面白いシチュエーション。



朝ごはんを堪能して、ごきげんでゲストハウスに戻り、


朝食に出かけようとする息子に、桃太郎をオススメする。


その後、少し奮発してトレックというマウンテンバイクを借りた。


ペダルを踏むのが気持ちいい、前回のバイクとは天と地の差がある。


そして息子にレンタサイクル屋の情報を伝えようと「桃太郎」に向かったのだが・・・。




ひとり「ワンピース」を読んで座っていた。



こっそり近づいて声をかけると、漫画に目を落としたままめんどうくさそうな返事の息子。


しょうもない事なので詳しくは省略するが、あまりの不遜な態度に私がまた堪え切れずに


ブチきれてしまい・・。


バイクに跨ったまま、カウンターに座る息子に大声で罵声を浴びせまくってしまった (-_-;)


それも後で恥ずかしくなるほど全く感情のままに・・・。


そしてまた怒りに憤りながら湖畔沿いを走る私・・・なんか前と一緒やないの(笑)


今こうして書いているとホントに情けないが。




むかつきながら、レストランのデッキチェアに寝そべり早くもビールを飲む。両隣ともサングラスを

かけたタンクトップの白人女子なのに、前の道を歩くネパール男たちは私ばっかりジッと見やがる。

そんなに珍しいか?動物園の檻にいる気分で落ち着かず、すぐにそこも立ち去る。




すいません、また個人的なくだらない話になってしまいました。


次号につづく・・

  


2013年05月08日

ネパールへの旅 vol.18 トレッキング最終日


3月11日(月)


4:30頃起床、昨夜の雨もあがり、満天の星空が綺麗だった。


本日は6:00に出発して、日没までにポカラの街まで戻る予定。


今日は長い距離を歩く、ハードな一日になりそうだ。


気合を入れて、まだ薄暗い中バンブーを出発!



トレッキングポールを二本持ってきていれば今回の山行はもっと楽チンだっただろう。せめて杖

がわりの竹の棒をゲットした。細くて頼りなさそうだが、これが階段で威力を発揮する。



行きは長い下りだったチョムロンの果てしない階段を、汗まみれのフラフラで登りきった。


地図上では、おそらくこれが最後の登りである。実際そうだった。


今日で、風呂に入らずに3日目になった。自分の頭皮からは懐かしい香りが漂ってくる。


風呂なしボロアパートで極貧生活をしていた頃を思い出す。あの頃はバブルの


真っ最中だったのに、なんであんな暮らしになってたんだ?



標高が下がっていくごとに、周りの景色が南国に変わっていく。


気温と湿度も忠実に上昇していく。


ポカラに着いて、風呂に入るのが楽しみだ。そのあとのビールも!






近くに温泉があるジヌー(1300m)という集落のゲストハウス、花や木々も南国風になってきた。




ジヌー近辺。誰かの粋な計らいで、いかにも美味しそうな湧き水。飲まずに塩でざらつく顔を洗った。





モディ川沿いの長閑な道を、出発地ナヤプルに向かってひたすら下っていく。途中に乗合ジープが

集まる集落があるとの情報だが・・。




ヤギの子供?




少し先の方に、ジープが集まっているのが見えた。地元らしき人たちも大勢いる。


途中に出会って、追い越したり追い抜かれたりしていた白人のお兄さんに、


よかったらポカラまで乗合いジープをシェアしないか、と話をもちかけてみる。


我々は英語がダメなので、値段の交渉をお願いすると、快く引き受けてくれた。


互いに1000ルピーづつの2000ルピーで交渉成立、うまく物事が進むもんだ。



車内には、おそらく十代くらいの男女ばかり乗っていて、


定員五人ほどの四駆に、数えてみたら12人も載せている(天井にもひとり!)


訳のわからないネパール語で急き立てられながら、


我々三人は、椅子のない荷物置き場に詰め込まれた。




シャイで無口なタランティーノ?似の青年と、単独で静かなトレッキングを楽しんでいたようだ。



ドライバーの若者は予想通りの激しい運転で、むやみに追い越しむやみに飛ばしまくる。


タランティーノは不安そうな顔で前方を見つめていた。


となりに座った女子が、次から次へと慌ただしく音楽をチェンジする。


どれも同じような曲に聞こえるが、これがネパールの若者に流行ってるのだろうか。


すぐ前の座席には、彫像のように整った顔をした美人の二人組が乗っていた。


不機嫌な表情で、一言も喋らずまったく周りも見ようともしない彼女達のクールな横顔を


チラチラと遠慮がちに見るオヤジな私。美少女には不機嫌な顔がよく似合う。





まだまだ日差しの明るい、16:00頃にポカラに到着。


連絡をできないままだったが、「空ゲストハウス」の夫妻は、突然帰ってきた


汗と土ぼこりだらけの我々を温かく笑顔で迎え入れてくれて、


無事トレッキングが終了した事を喜んでくれた。




こうしてとりあえずこの旅のメインである、アンナプルナB・Cトレッキングは幕を閉じた。


神々しく壮大な景色と、どうしようもなく人間的で小さく情けない我々親子との


コントラストは、間違いなく生涯の思い出になったと思う。


何年後かに、酒を酌み交わしながら笑って語れる日がくるだろうか。





ゲストハウスの玄関で、お気に入りのビール「ツヴォルグ」で乾杯!山の神々に感謝を。




高級日本食レストランで焼き鳥や串カツをむさぼり食う息子、私はしょうが焼き定食をがっつく。

ひさしぶりの和食に興奮気味の親子だった。



旅はこの後、再びカトマンズへ。


すこしダラダラ気味になってきましたが、よかったらこの後も読んでくだされば幸いです。



次号につづく!


  



2013年05月03日

ネパールへの旅 vol.17 アンナプルナB・C~バンブー


3月10日(日)



マチャプチャレB・C付近にて、夏にむけて雪は徐々に融けはじめていた。




午前中は、眩しいくらいの晴天だったが


昼過ぎになると、麓のほうから黒い雲が押し寄せてきて


あっという間に本格的な雨になってしまった。




川沿いの岩場あたりで、山に来てはじめて日本人とすれちがった。


大阪からきた好青年で、ガイドとポーター付きの白人青年とちょいギャル系な


チャイニーズ女子二人と意気投合して、グループで登っていると言う。


なにがそんなに面白いのか、女子二人はキャッキャとえらくはしゃいでいる。


もしかして俺ら親子にトキメいているのだろうか(笑)


上部の情報を彼に伝え。では気をつけて、と互いに反対の道を進み始める。


「くそ~あの兄ちゃん、うらやましいな!」と息子に訴える。まったく軟弱な奴らだぜ!




二日前に泊まったヒマラヤのゲストハウスにて雨宿り、バックに写ってるのは若いイケメン韓国人

のキム君。



今日の宿泊予定地、バンブー(2310m)に到着。地名どおり周辺には竹が多かった。



二日前に、ジュースを買いに立ち寄ったゲストハウスに泊まることにした。


「なぜこの子の母さんも連れてこなかったんだい?」と尋ねてきた


肝っ玉母さんみたいなおばさんが、とてもフレンドリーで優しかったからだ。



雨はまだ止む気配はなく、気温はかなり低かった。


昨日もシャワーを浴びていなかったので、今日はどうしようかと思案していると、


となりの部屋の白人が、離れのシャワー室から大声で叫びながら戻ってきて、


震えながら母さんに抗議しているのが聞こえてきて、止めておくことにした。




世界一周、4ヶ月目。大阪出身の25才、田村くんと。二人のこれからが楽しみである。もちろん

私自身も彼らと同じく、自分次第で人生を変えていけるチカラがまだあるはず。オヤジも頑張ろ。



ゲストハウスの食堂で、世界一周中の青年に出会った。


ポカラの街で出会った、初老の日本人トレッカーに是非行くべきだとオススメされて、


街で道具を安く買いそろえて、単独でこの山域にやって来たという。


ほとんど山の経験がないという彼の無鉄砲な行動力が、眩しくて微笑ましかった。


(彼のFaceBookによると、この後、あわや遭難しかけたり高山病に罹ったり大変だった


らしい。彼にあげた高山病の薬が役に立ったようで、少し得意気な気分になった。)




焚き火を囲んで、順番にアドリブっぽい唄を回す地元のガイドやポーターたち。エッチな歌詞も

時にはあるのだろう、ときおり女性連中が色めきはしゃいでいた。ニヤ~とイヤラシイ顔で歌っている

男たち、酒が深くなると私もそんな顔になるらしいが・・・ 



夕食の後、いやな寒気を感じた私は部屋で寝袋にもぐり、うつらうつらとしていたが


息子は食堂で、世界一周中の田村君にいろんなエピソードを聞かせてもらったり、


旅の写真を見せてもらったらしい。


「僕も将来、世界一周してみようかな」と嬉しそうな顔で息子が言った。


そんな息子の言葉が聞けて、私もとても嬉しかった。田村くんありがとう。



浅い眠りのなかで、どこかでパーン!パーン!と花火のような音があがり、


その度に、男達の奇声があがる。


こんな山のなかで花火?ギターの伴奏とネパール語の歌も聞こえてくる。


となりのベッドを見ると、まだ息子は外にいるようだ。もう夜の9時を回っている。


少し心配になり、息子を探しにヘッドランプを点けて外に出た。



雨はあがっていたが、冷え込みがキツく、星もまったく見えない。


少し離れたところで、地元の男女が焚き火を囲んで宴会をしていた。


ときおり火の中でパーン!と竹が弾け、火の粉が空に舞い上がる。







遠慮がちに遠巻きから眺めていると、焚き火を囲んだ椅子に座ってる息子らしき姿が見えた。


なかなか行動力がありやがるなぁと、親バカながらまた嬉しくなってしまった。


後日に、息子が履いていたトレッキングパンツに溶けた穴を発見したが(笑)




次号につづく!