2013年04月23日

ネパールへの旅 vol.13  ヒマラヤ~アンナプルナB・C



3月9日(土)


白い雲の中を歩いているようで、周りの山々はまったく見えない。


雪に残る足跡を頼りにして、最終目的地アンナプルナ・ベース・キャンプを目指していた。


ときおり後ろを振り返って、不服と不安の表情を浮かべて歩く息子を見る。


高度計によるともうすぐ4000mを越える、時刻は夕方4時になろうとしていた。


すこしは白いガスも薄くなってきたような気がするが・・・









今日の予定は、ヒマラヤ(2920m)~マチャプチャレB・C(3700m)


約4時間ほどの道のりである。


前日、前々日の行程がハード過ぎた事や、念のための高度順化などを考慮して決めた。



朝はゆっくりめに10時出発、ダイアモックス一錠とアリナミンA三錠、粉末のアミノ酸を


ゲストハウスで売ってもらった煮沸水で飲みこんだ。


どうやら風邪はほとんど治ったようである。風邪薬を持ってこなかったのは迂闊だったが、


ひたすら横になって寝まくったのが良かったみたいだ。



ネパールへの旅 vol.13  ヒマラヤ~アンナプルナB・C

残雪と氷がまざる川原を遡上する、滑りやすい足元に神経を使う。



山に入ってから特に、息子との関係が悪化したせいか、


「親と子」について過去の色んな事が、とりとめもなく頭に浮かんでくる。


昼間歩いている時も、眠れず寝袋にくるまってる時も、ふと考えてしまっている。



「自分が今の息子くらいの歳だった時、どんな子供だったのだろう?」


世の中をなめきって、周りの大人や自分の人生まで馬鹿にして息巻いてた


イヤなイヤ~なガキだった。薄っぺらな知識や屁理屈を振り回して悦にいってた。


間違いなく性質の悪いガキだった。最近もタチが悪いが(笑)


できることならタイムスリップして、当時の自分をこっぴどく説教してあげたい。


思い出すのも恥ずかしい。人生の暗黒時代をできることなら消去してしまいたい。



「18くらいの時、自分は母親にどう接していて、どんな思いをさせていたのだろう?」


そんなに酷い息子ではなかったと思うが、突飛な行動や夜中までバイクを乗り回したり


していた時期で、かなり心配をかけていたのは間違いない。


徹底的に自己主義で、ロックかぶれのたわけ者だった。


我儘し放題の私に対しても、何ひとつ咎めることもなかった優しい母親に、ある時


「あんたは、怖いくらいに人に対してすごく冷たいところがある」と静かに言われた。


思ってもみない、突然意表をつかれた言葉だったので、今も強く記憶に残っている。


その時の母親のうつむいて目をそらした残念そうな表情も


母から見た私は、実際にそうだったんだろうなと、今は解りすぎるくらい解っている。


一生抱えていく、自分という人間の本質を言い当てられていたとも思える。


悲しい現実だが、仕方がない。




自分の過去を思い出し、考えれば考えるほど、今の息子のほうが何百倍もましな


子供なんだという結論に至る。


不器用すぎるとこも、ズルさのない事の裏返しだとも思う。誠実でバカ正直なのだ。


わたしはもっと計算高く小狡く、大人をだまして自分の利を得ていたが・・・。



そして父と私との過去の関係が、私と息子との関係にどう影響しているのか・・・


きりがないので、この辺でやめておこう。


とにかくそんな事ばかりウジウジと考えていたのだ、壮大なヒマラヤの山中で!



父であるわたしの方が歩み寄るべきだというのは、頭や心ではわかってはいるが、


現実、反抗的な息子を前にすると、その瞬間、単純にムカついてしまう・・・。


中学、高校などの先生やスポーツ指導者の方々の忍耐強さを心から尊敬します!



ネパールへの旅 vol.13  ヒマラヤ~アンナプルナB・C

とうとうヒマラヤのジャイアンツ達が眼の前に近づいてきた!




ネパールへの旅 vol.13  ヒマラヤ~アンナプルナB・C

雪解け水はやがてインド洋に?、ヒマラヤも昔は海の底だったという。一年で1cm盛り上がるとして

計算すると80万年で8000mに、一億年なら1000km!頂上は宇宙空間だ。一億年って永いな。



息子には、ほとんど雪山の経験がない。


大胆に雪や氷の斜面を歩いてくる彼を見てると、怖くてしょうがない。


濡れた階段とは違い、一度足を滑らすと止まらず転落していく。


こまめにアイゼンの付け外しをするべきか迷ったが、また嫌がるであろう息子に


承諾さすのがめんどうだった。揉めるとカラダがどっと疲れてしまうのだ。


滑ると危険そうな場所では、必要以上に一歩ずつ踏みしめながら歩く作戦をとった。


腰を落として、がに股でのろのろと雪の斜面を下る。後ろで息子が苛ついてるような


気配を感じるが仕方がない、ここでのミスは致命傷になる。死亡する可能性も高い。



危険な箇所を抜けると、見晴らしのいい広い川原に出たので小休止をとる事にした。


そろそろ高度の影響か、いつもより息がきれるのが早くなっている気がする。





私が考える山においての休憩時間とは、装備の整理やチェック、


服装や靴ひもの調節、水分や即効性のある栄養の補給、ストレッチetc...


などの為の時間であるが、息子にとっては学校の休憩時間に近い感覚のようだ。


すこし離れた川原に行き、川を見ながら座っている。



疎ましがられるので、休憩ごとにこまかく指示するのをなるべくガマンをしていたが、


川原の彼を呼び寄せ、出発時間までにザックの底に入れているアイゼンを


取り出しやすいところに入れ直すようにと言った。


案の定、そんな必要ないやろ!と噛みついてくる息子・・・。


前方に雪渓が見えているから、アイゼンを使う可能性がある。雪のうえで荷物を


取り出すのは面倒で危険だからと説明したが、それでも不服そうな息子を見て苛立ち、


「とにかく早く用意せぇ!」ときつく言ってしまう。なぜいちいち私に歯向かってくる?



ネパールへの旅 vol.13  ヒマラヤ~アンナプルナB・C

息子にキレて逆上した後、急に周囲が曇りだしガスも発生しはじめた。



息子の雪の紫外線対策として、使い捨てコンタクトとサングラスを用意していたが、


メガネのまま行くという息子の意思に従った。


山岳書によると、高所と雪の紫外線は強烈だという話で、雪盲という症状になると


痛みと涙で目が開けれない状態になるという。大丈夫だろうか?



「なるべく薄目にして、眼を守りなよ」 振りかえって息子に言う。無言・・・。


「薄目にしとかな眼ヤバイで」 あぁとめんどくさそうにつぶやく息子、


「なんやねん、その態度はこら」 


「わかってるってゆうてるやろ!」



息子のニラんでくる眼を見て、とうとう私のほうが手を出してしまった。


胸倉をつかみに行く私の手を息子は払いのける、足元に軽くローキックをかます。


別に本気でキレているわけじゃないが、こいつを無性に懲らしめたかった。


もう父と子などは関係なかったと思う。


無言でしばらくにらみあい、最悪のムードでまた歩きはじめた。




次号につづく・・・


p


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この記事へのコメント
ずっと読んでます。ヒマラヤも面白いけど親子劇も感慨深いです。
どこの親子もあるんだな~と。
またお店におじゃましにいきますね!
Posted by 青年 at 2013年04月23日 22:07
青年さん

なんかみにくい争いを書いてしまったなと少し後悔してます(-_-;)

まぁそんな子供と変わらないレベルだったのが、偽りのない自分だったし。そんな出来事を書いておくのも、将来読み返してみた時に面白いかなと思います。
おみやげ置いてますんでまたいつでも寄ってくださいね~!
Posted by タケシタケシ at 2013年04月24日 04:13
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