2013年06月13日

ネパールへの旅 最終章 「それぞれの旅へ」

 

3月16日(土)



ボダナートの余韻に浸りながら、ゲストハウスに戻り、ネパール初日の朝に行った


「ちくさ茶房」に朝めしを食べに行った。


すっかりくつろいだ様子でモーニングを食べる息子を見ながら、ふたりで緊張しながら


パンをかじった初日の事を思いだし、懐かしくなる。



 

バナナヨーグルトはちみつがけが妙に美味かった。



今日の夜には、日本へ帰る飛行機に乗り、明日の昼過ぎには和歌山に帰っている予定。


そして私はまたカウンターに立って、ウイスキーを注ぎ、粋で優しい常連さんたち


に囲まれた、平和で楽しい日常に帰っていく。


海上自衛隊に入隊した息子は、舞鶴にある軍の学校にて、四月一日より厳しい


訓練生活が始まる。



バーテンダーという職業を卑下している訳ではないが、どこか後ろめたい気がしている私は、


自分の子供たちには、直接、人様や社会の役に立ち感謝されるような職業に付いてほしいと


願っていた。その願いを時折、子供たちにもいい聞かせてきた。


自らの意思で自衛隊を志願し、自分以外の人達を守る尊い仕事についた息子を、


心から誇りに思う。





帰国後の壮行会にて。いさぎよくアタマを丸めた息子、へんに迫力が出た(笑)



「ちくさ」を出て、息子はゲストハウスに戻り、私は頼まれていた岩塩を買いに市場のほうへ。


カトマンズで一番のお気に入りの場所になった、アサンチョークの広場に向かう。


あいかわらず賑やかな通りを歩きながら、今朝、ネパールに来て初めて街を楽しんで、


ゆったりとした気分で歩けている事に気付いた。


やっとしっくりと肌になじんできたというか、街に溶け込めている感覚になっている。


道行く人達や行商のおばさん達の視線も、やさしく好意的に受け止められる自分がいた。




岩塩を買ったお店にて。写真を撮らせてもらっていい?と聞くと恥ずかしそうにOKしてくれた。





朝っぱらからチェスに興じる男性たち、街中は職にあぶれてヒマを持て余す人達で溢れていた。




涼しい朝方のうちだけ、色んな肉の行商があちこちに出ていた。ヤギの頭はどう料理するんだろ。



ネパールの人達や風土には、皮を剥ぎたての肉のような、むき出しのナマナマしさを感じた。


なにもかもコントラストが強くて、直接的なのだ。


そしてそれに戸惑い、ときには嫌になったこともあったけど、いまはとてもいとおしい。


おそらく最終日だから少し感傷的になっているんだろうが、街の喧騒に包まれている事が


とても心地よい。


ずっと以前に、ここに住んでいたような、不思議な気分を感じてしまった。







宿に帰ると、息子が服を着込んでベッドでダウンしていた。


旅の終わりに、張り詰めていた気も緩んだのか、どうやら風邪気味のようだ。


しかし考えてみると、普段話すこともなかった父親の気まぐれに答えて、よくこんなところまで


付き合ってくれたもんだ。


幼少の頃、あまりに繊細でナイーブな性格と清潔症で心配したものだったが、


父が知らない間にタフでたくましい青年になっていた。


少々ひねくれてはいるが・・・(笑)





せっかくやから記念に乗っとくか!と恥かしがる息子を強引にリキシャに乗せた。



ユーモラスなリキシャ乗りのオヤジと。ネパール人は老け顔だからもしかしたら私の方が年上かも



どこの国でもそうかもしれないが、貧しそうな庶民の人達のほうがイイ人柄を感じることが多かった。



フロントでチェックアウトを済まし、夜まで荷物を預かってくれるよう御願いする。


ネパールで我々親子といちばん仲良くしてくれたスーザンに、少し早いがお礼と別れの


挨拶をしておいた。


「今度また来るときは、もっと英語をマスターしてくるから、スーザンも日本語頑張ってな。」


スーザンに聞くところによると、「三年後くらいに一人でまたネパールに来るからよろしく」と


息子が言っていたらしい。


ネパールに来て、またひとつ嬉しい言葉が聞けた。




明るいうちに記念写真を。スーザンとフロントの兄さん、偶然通りかかったヒマラヤ仲間の黄色い

Tシャツの?氏と!すごい偶然に息子が興奮していた。



今回の長い旅の日記において、書こうか書かまいか悩んだことが沢山あった。


旅のあいだ中、しょっちゅう思い出しては考えていた。自身の子供時代と父親のこと。


その他、遺伝に関することや、もろもろの暗い話・・・。


今は書かずに置いてよかったと思える。


読んでもらって楽しいことじゃないし、第一、エエ歳こいだオッサンがみっともない。


育ちや環境から来る、悲しい負の連鎖は私の代で終わった。


終わらせてくれたのは、溢れる愛情で子供達を育ててくれた妻である。


私も今後の人生において、人徳の高い妻や子供たちに負けないよう、すこしでもマシな


人間を目指すつもりである。


そして家族に呆れられない程度に、ほどよく遊ぼうと常に企んでいるのだ(笑)




感慨深げに、アサンチョークの交差点に立つ私。なんか不審そうな顔で見られている?(笑)




和歌山に帰ってきてから、また私たち親子は必要以外に口を聞くこともなく、以前どおりに戻った。


息子が舞鶴に出発する朝に、大ゲンカをして怒ったまま別れてしまった。


今も妻にたまに連絡はあっても、私には一切ない。


でもそれで全然かまわない、いつまでも私は彼の目の上のタンコブで本望なのである。


始まったばかりの彼の一人旅を、陰ながら応援していよう。



結局、父としての私は、息子にほとんど教えを与える事などできなかった。


この二週間も、素のみっともない自分を見せただけで終わってしまったような気がする。


ここいちばんの見せ所がなかったな(笑)


いつか息子がこの日記を読んで、この旅を懐かしんでくれるだろうか?






・・・・・・・・・カトマンズの夕方。風邪気味の息子をゲストハウスに寝かし、


最後にもういちどアサンチョークの街角に向かった。


混雑する交差点に立ち、行きかう人やクルマを眺めながら「積荷のない船」を聞く。


涙があふれてとまらない。・・・気持ちわるいオッサンになっているだろうな。


そしてネパールに感謝と最後の別れを告げた。




詩朗(うたろう)、朗らかにうたう、当時の若さのまま私が名づけた


少しばかりロマンティックな名前だ。


この二週間、どうもありがとう。


残念ながら子供時代の彼には、あまりいい父親にはなれなかったが、


これから大人の遊びを色々と教えてやろうか・・・。











最後まで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。


心から感謝を!



  


2013年06月07日

ネパールへの旅 vol.24 ボダナート


3月16日(土)


自然に目が覚めると朝の5:30、この旅では遅起きのほうだ。


今日はとうとう最終日、一緒に行こうと息子に声をかけるが、まだ眠ると言う。


今朝の街は、土曜日なので人通りも少ない。



タクシーに乗り、チベット仏教徒の聖地である「ボダナート」に向かう。


「ボダナート」周辺は、亡命チベット人が住みついて街になったらしい。


ここに居る人の多くは、赤い大国の圧政から逃れ、命がけでヒマラヤを越えてきた


人達やその子孫だと思うと、彼らの祈りに深い何かを感じてしまった。


彼らの文化や宗教や言語を、地球上から消滅させようとする人達がいる。



ストゥーパの周りを祈りながら右回りに歩く人たち、祈りの純度が高い場所だった。






神様に捧げるバターランプの灯り、並べられた金属の器には水が注がれていた。


マニ車が回るごとに、聖地に鐘の音が響き渡る。


無言で五体投地をくりかえす信者たち、観光者には肩身のせまい場所だった。





世界でも最大級の規模を誇るというボダナートのストゥーパ。とにかくでかい!





階段を歩き、ストゥーパに上がると(信者以外は立ち入り禁止だと後にわかる)、東の空から


朝日が昇ってきた。


毎日のように見た朝日も、今日で最後になる。今まででいちばん綺麗な日の出が見れた。


少々強引にでも息子を連れてきたらよかったと後悔した。





ネパールの観光地としては、マイベストワンの場所になった。他の寺院とは空気感が全く違う。





今回の日記はえらく硬い感じになってしまった。どうもスイマセン(-_-;)


私生活で遊びすぎていると、なぜか日記が硬派になる傾向があるみたいで(笑)



次号で最終回になりそうなのだが、書きたいことが沢山あって迷ってしまう。


あまりセンチなラストにはしたくはないが・・・



次号につづく・・・