2013年04月18日

ネパールへの旅 vol.11 チョムロン~ヒマラヤ


3月8日(金)


朝7時頃にゲストハウスを出発。疲れがとれていないのか、けっこう足が重い。


谷を挟んで向こうの山の斜面に、目的地に向かうルートと小さい集落が見えている。


川に架かる吊橋を渡るために、いきなり400mほども下らなければならない。


そしてまた600mほど登ってSinuwa(2340m)を通過して、また少し下って


Banboo(2190m)を経て、Himalaya(2920m)が今日の宿泊予定地である。




ネパールへの旅 vol.11 チョムロン~ヒマラヤ



Chhomrong(2170m)~Himalaya(2920m)、750mの高低差であるが、


今こうしてざっくり計算してみたら、約550m下り、1300mほど登らなくてはならない。


ちなみに和歌山市内から見えている六十谷方面の山々は3~400mの登りだ。


もちろん細かいアップダウンはもっとある訳だから、計画としてはハード過ぎである。


そして前日の足の疲れと風邪気味のカラダ、あの日はしんどかったはずだ。



ネパールへの旅 vol.11 チョムロン~ヒマラヤ

チョムロンより奥に行くと、ほとんど民家はなく、ゲストハウスが点在するだけになる。




昨夜は、カラダが疲れているはずなのになぜか深く眠れず、


何回も目が覚めては、枕もとの水を飲み咽を潤して、ときおりノド飴を舐めた。


となりにベッドの息子も、しきりに寝袋の中で体勢を動かしていたから、


彼もあまり眠れていないのだろう。



昨夜相談して決めた起床時間は5:00だったが、やはり息子は起きてこない。


仕方なく無理に起こすのだが、予想通りの不機嫌な態度に今日も思いやられる・・・。



食堂で朝食をオーダーして、お互い無言で料理を待つ。


向かいには、俯いてダルそうに座っている息子がいて。後ろの窓からは、憧れだった


ヒマラヤの山々が早朝の光に輝いてるのが見える。


心ときめく場所にいるはずなのに、なんでこんな重たい気分なんだ?


きっかけは何だったか忘れてしまったが、とうとう息子に声を荒げキレてしまった。



「お前、ええかげんにせえよ!こらっ!」


・・・この後の聞き苦しい言葉を訳すると。


「なぜ、私に対してそんな態度をとるのか?」


「初めての場所と慣れない言葉で、私なりにテンパリながら頑張ってるのに、


なぜそんなに非協力的なのか?」というような事を言ったと思う。




息子は感情が高まると言葉が出なくなってしまう、小さい子供のときからそうだった。


「辛くても言葉にせんかったら、相手にはわからんで・・・」そんなような意味の事を、


今までに何回か彼に言った覚えがある。


息子が私に何か伝えたい事があるのは、わかる。


だがコントロールできず涙を流しているのだ。



「なんか言いたい事があるんやったら、いまここで全部聞かせてくれよ」と


高ぶる息子に追い打ちをかける。


息子は、来月から和歌山を出て、厳しい環境で訓練が始まる。


これまでの学校や家とは違い、言葉にせずとも周りが意思を汲み取ってくれる事は、


まず期待はできない。


不器用な言葉でもいいから、相手に自分の言いたい事を伝える努力をしなければ、


この先の世の中を渡って行くのが難しいんじゃないかと心配なのだ。




ようやく息子が口を開いた。「今はムリやから、落ち着いたらまた言う」


この場で本音で話し合って、謝ることがあれば謝り、解決できることは全部かたずけて


すっきりとした気分でヒマラヤの山々にあらためて向かい合いたかったが、


これ以上無理強いはせず、彼なりの意思表示を尊重して受け入れた。



しかし山を歩きながらも、息子が言いたかった事が気になってしまい、


悶々としながら、息をあえいで急坂を登る私・・・。


1~2時間歩いた頃だっただろうか「まだ落ちつかんの?」と聞くと。


「何回言わすんなよ!落ちついたら言うっていってんやろが!」


逆ギレしてきた息子に、少し驚きムカつきやがて悲しくなってきた。


あぁこんなヒマラヤになるとは! (-_-;) 


読んでくださってる皆さん、しょうもない親子ゲンカをだらだら書いてスイマセン。



ネパールへの旅 vol.11 チョムロン~ヒマラヤ

Sinuwa近辺にて。犬とじゃれてる息子



息子が高校に入学したとき、ゲーム機とひきかえに何か運動部に入るという約束をした。


漫画とアニメとゲーム三昧だったので、このままでは体力的にも精神的にもヤバイと思ったからだ。


じつは私も中学時代は漫画とファミコン漬けの毎日で、そんな不健康な生活のせいか、


しまいには肩こりと腰痛に悩まされる悲痛な状態になってしまった。


やはり親子は似るのか(ーー;)


高校に入ると、筋力を付けるのに一番効果的そうなボート部に入部した。


情けないカラダも、ひたすら地味な筋トレとランニングのおかげで丈夫になった。


社会に出てからも、勉強よりあのトレーニングのほうが役に立ったと思う。



最初は私の勧める山岳部にしぶしぶ入った息子も、


いい仲間ができどうやら楽しい三年間だったようだ。


山岳部でアルプス合宿に行ったときの話を息子に聞いていて、


「学校では優しい顧問の先生が、山にいくと別人のように厳しくなる」


というようなことを言っていた事をヒマラヤに来てまた思い出した。



その話を息子から聞いたとき遠足気分であろう生徒たちを連れて、


厳しい剣岳や穂高に引率する先生の苦労と心労が目に浮かんだ。


一歩間違えば命を落とす山に、経験が少なくリスクに対する


意識も低い高校生たちを何人も連れて登る。ものすごく大変な事だと思う。


私ならお金を貰ってもご免被りたいのに、ほぼボランティアで引率する先生方の


ご厚意には、想像するだけで本当に頭が下がる。


息子達は、山で貴重な経験をさせてもらったと思う。


彼らにその有り難味や先生方の苦労がわかるのはもっと先のことだろうが。



ネパールへの旅 vol.11 チョムロン~ヒマラヤ

モディ・コーラという名前の川に沿って、高度を上げていく。だんだんと山深くなってきた。



今回のトレッキングでは、もちろん私がリーダーだった。


年齢や立場を除いても、山での経験やキャリアなどは私のほうが圧倒的に多いからだ。


息子には、責任者として計画を立てたり、皆を引率したり、単独で山に入った経験はない。



息子は、私の山のキャリアを全く知らないし興味もなかっただろう。


子供の頃から、遊び好きの父親のだらしない姿を見てきた彼からすれば、


私に対して、リーダーとしてリスペクトや信頼がないのは仕方がなかったと思うが、


山においての安全管理の面では実際かなり困った。



私には、四月から社会人としての生活をスタートする息子を


無事に日本に送り帰す義務がある。私と公の両方において。


保険に加入してきたとはいえ、事故があった時の搬送手段や病院の設備などが


日本とはまったく違い、手術や入院などになると事態は深刻である。


すこし安全面に神経質になりすぎていた私が、息子にはかなりウザかったとは思うが、


慎重すぎる事自体は、間違ってはいなかったと今でも思う。



息子は去年の夏、よく友達と行っていた六十谷のなんてない山道で転び、


運悪く尖った岩に膝を打ちつけてしまった。


救急車で運ばれ、手術をし二週間ほど入院した。幸いひざはほぼ完治したが、


なんてない山道の方が、気が緩んで逆に危険なのは登山本にもよく書いてある事だ。



さて話を、ヒマラヤトレッキングに戻そう。



息子は、思いっきり膝に負担がかかるような下り方をしていた。


一日の登山ならともかく、長期の縦走では大丈夫だろうかと不安だったので、


2,3度、膝に負担が少ない歩き方をアドバイスしたが無駄だった。


仕方ないと、そこは目を瞑った。痛みが出てければ、また彼なりに考えるだろう。



雨に濡れた石の階段を降りている時は、靴底を滑らさないように慎重に歩くのだが、


息子はときおり底を滑らして降りている、滑ることを予測しているから大丈夫なのは分かる。


なるべく滑らさないように注意するが、聞いてくれない。ちゃんと降りてるやろ!と息子。


私からすれば不安で見ているのがガマンできない、不用意なリスクは少しでも避けたい。


万一足首を軽く捻挫しただけで、この山がすべて終わってしまうかもしれないのだ。


雨の中、立ち止まり彼の足元を指差しながら「絶対に滑らすな!」とキツく言ってしまう。


お互い無言でにらみ合い、気まずい空気でまた歩きだした。



登山道の崖側が、ごくたまに崩壊している箇所があった。


私の斜めうしろで崖側の端を歩く息子に「崖側を歩くな!」と


振り向かずにキツく冷たく言い放つ。


カラダも疲れてきて、何かを言って腹を立てるのはもういやだった。


必要最小限の会話だけにしようと、しかたなく考えていた。


だが彼は崖側を歩くのを止めない・・・もうええわ、勝手にせいや。


「どこ歩いてもええわ!好きに歩けよ」 がまんの効かないリーダーだった(笑)



ネパールへの旅 vol.11 チョムロン~ヒマラヤ

Himalaya(2920m) ゲストハウスは2軒。左に写っている宿の家族に値段をたずねたのだが・・。




疲れて最後はフラフラになりながら、なんとかHimalayaに到着!


左右に、二軒あるゲストハウスをどちらにしようか見てみる事にした・・・。




次回につづく!






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この記事へのコメント
息子さんええ感じですね(^ー゜)「父親に簡単に理解されるようなしょうもない男になるなよ」って僕も息子が産まれてすぐに思いましたもん。「こいつとは分かり合えてなくても繋がってたらええかな」って。
Posted by うえだもりゆき at 2013年04月18日 14:06
うえだくん

らしいコメントありがとう!あいかわらず面白い見かたするね。将来うえだJr.にオヤジがこんな事言ってたぜ!と伝えてあげよう(笑)
またいろんな感想をコメントしてもらえるかな、たのんどくね~
Posted by タケシタケシ at 2013年04月18日 14:36
男女の違いはあるけれど、私も娘を連れていくので、親としての気持ちはよく分かります。きっと旅のあいだなんやかんやあると思う。
それでも、あとになったら親子で一緒に乗り越えたup&downの記憶は   きっと宝物になるのじゃないかしら? 
日常では出来ない経験ですもの。
Posted by keiko at 2013年04月18日 15:36
keikoさん

ほんとですね、少なくとも僕にとっては宝物になっていく気がしてます。
またいつか息子と二人でどっか行きたいですね、また揉めまくっても行きたいと思えるのは不思議です。
keikoさんの旅日記も今から楽しみですね~!
Posted by タケシタケシ at 2013年04月19日 03:02
兄が高校生くらいまで
毎年家族4人で旅行していました。

お昼ご飯たべるお店きめるだけなのに
どんだけっっっ!?
っていうくらい父と兄がケンカしまくってた記憶が
今鮮明に蘇りました(〜〜;)

どっちでもいいじゃん!!
という内容で毎回大げんかしておりました。


そんなときは
母が父の肩を持ち、私が兄の肩をもち
母親に弱い兄が母の顔を立てる形で父にしぶしぶ従う
という落としどころを母と決めておりました。


男の人って・・・

面白い生き物ですね〜♪(=^^=)
Posted by shimon at 2013年04月19日 13:49
shimonさん

面白い≒馬鹿な  って感じでしょ(笑)

親子って、なにがあっても絶対に切れない関係だから、よけい相手に、雑に接したり、甘えてしまったりするのかも知れませんね~。
Posted by タケシタケシ at 2013年04月20日 04:10
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