2013年04月18日

ネパールへの旅 vol.11 チョムロン~ヒマラヤ


3月8日(金)


朝7時頃にゲストハウスを出発。疲れがとれていないのか、けっこう足が重い。


谷を挟んで向こうの山の斜面に、目的地に向かうルートと小さい集落が見えている。


川に架かる吊橋を渡るために、いきなり400mほども下らなければならない。


そしてまた600mほど登ってSinuwa(2340m)を通過して、また少し下って


Banboo(2190m)を経て、Himalaya(2920m)が今日の宿泊予定地である。







Chhomrong(2170m)~Himalaya(2920m)、750mの高低差であるが、


今こうしてざっくり計算してみたら、約550m下り、1300mほど登らなくてはならない。


ちなみに和歌山市内から見えている六十谷方面の山々は3~400mの登りだ。


もちろん細かいアップダウンはもっとある訳だから、計画としてはハード過ぎである。


そして前日の足の疲れと風邪気味のカラダ、あの日はしんどかったはずだ。



チョムロンより奥に行くと、ほとんど民家はなく、ゲストハウスが点在するだけになる。




昨夜は、カラダが疲れているはずなのになぜか深く眠れず、


何回も目が覚めては、枕もとの水を飲み咽を潤して、ときおりノド飴を舐めた。


となりにベッドの息子も、しきりに寝袋の中で体勢を動かしていたから、


彼もあまり眠れていないのだろう。



昨夜相談して決めた起床時間は5:00だったが、やはり息子は起きてこない。


仕方なく無理に起こすのだが、予想通りの不機嫌な態度に今日も思いやられる・・・。



食堂で朝食をオーダーして、お互い無言で料理を待つ。


向かいには、俯いてダルそうに座っている息子がいて。後ろの窓からは、憧れだった


ヒマラヤの山々が早朝の光に輝いてるのが見える。


心ときめく場所にいるはずなのに、なんでこんな重たい気分なんだ?


きっかけは何だったか忘れてしまったが、とうとう息子に声を荒げキレてしまった。



「お前、ええかげんにせえよ!こらっ!」


・・・この後の聞き苦しい言葉を訳すると。


「なぜ、私に対してそんな態度をとるのか?」


「初めての場所と慣れない言葉で、私なりにテンパリながら頑張ってるのに、


なぜそんなに非協力的なのか?」というような事を言ったと思う。




息子は感情が高まると言葉が出なくなってしまう、小さい子供のときからそうだった。


「辛くても言葉にせんかったら、相手にはわからんで・・・」そんなような意味の事を、


今までに何回か彼に言った覚えがある。


息子が私に何か伝えたい事があるのは、わかる。


だがコントロールできず涙を流しているのだ。



「なんか言いたい事があるんやったら、いまここで全部聞かせてくれよ」と


高ぶる息子に追い打ちをかける。


息子は、来月から和歌山を出て、厳しい環境で訓練が始まる。


これまでの学校や家とは違い、言葉にせずとも周りが意思を汲み取ってくれる事は、


まず期待はできない。


不器用な言葉でもいいから、相手に自分の言いたい事を伝える努力をしなければ、


この先の世の中を渡って行くのが難しいんじゃないかと心配なのだ。




ようやく息子が口を開いた。「今はムリやから、落ち着いたらまた言う」


この場で本音で話し合って、謝ることがあれば謝り、解決できることは全部かたずけて


すっきりとした気分でヒマラヤの山々にあらためて向かい合いたかったが、


これ以上無理強いはせず、彼なりの意思表示を尊重して受け入れた。



しかし山を歩きながらも、息子が言いたかった事が気になってしまい、


悶々としながら、息をあえいで急坂を登る私・・・。


1~2時間歩いた頃だっただろうか「まだ落ちつかんの?」と聞くと。


「何回言わすんなよ!落ちついたら言うっていってんやろが!」


逆ギレしてきた息子に、少し驚きムカつきやがて悲しくなってきた。


あぁこんなヒマラヤになるとは! (-_-;) 


読んでくださってる皆さん、しょうもない親子ゲンカをだらだら書いてスイマセン。



Sinuwa近辺にて。犬とじゃれてる息子



息子が高校に入学したとき、ゲーム機とひきかえに何か運動部に入るという約束をした。


漫画とアニメとゲーム三昧だったので、このままでは体力的にも精神的にもヤバイと思ったからだ。


じつは私も中学時代は漫画とファミコン漬けの毎日で、そんな不健康な生活のせいか、


しまいには肩こりと腰痛に悩まされる悲痛な状態になってしまった。


やはり親子は似るのか(ーー;)


高校に入ると、筋力を付けるのに一番効果的そうなボート部に入部した。


情けないカラダも、ひたすら地味な筋トレとランニングのおかげで丈夫になった。


社会に出てからも、勉強よりあのトレーニングのほうが役に立ったと思う。



最初は私の勧める山岳部にしぶしぶ入った息子も、


いい仲間ができどうやら楽しい三年間だったようだ。


山岳部でアルプス合宿に行ったときの話を息子に聞いていて、


「学校では優しい顧問の先生が、山にいくと別人のように厳しくなる」


というようなことを言っていた事をヒマラヤに来てまた思い出した。



その話を息子から聞いたとき遠足気分であろう生徒たちを連れて、


厳しい剣岳や穂高に引率する先生の苦労と心労が目に浮かんだ。


一歩間違えば命を落とす山に、経験が少なくリスクに対する


意識も低い高校生たちを何人も連れて登る。ものすごく大変な事だと思う。


私ならお金を貰ってもご免被りたいのに、ほぼボランティアで引率する先生方の


ご厚意には、想像するだけで本当に頭が下がる。


息子達は、山で貴重な経験をさせてもらったと思う。


彼らにその有り難味や先生方の苦労がわかるのはもっと先のことだろうが。



モディ・コーラという名前の川に沿って、高度を上げていく。だんだんと山深くなってきた。



今回のトレッキングでは、もちろん私がリーダーだった。


年齢や立場を除いても、山での経験やキャリアなどは私のほうが圧倒的に多いからだ。


息子には、責任者として計画を立てたり、皆を引率したり、単独で山に入った経験はない。



息子は、私の山のキャリアを全く知らないし興味もなかっただろう。


子供の頃から、遊び好きの父親のだらしない姿を見てきた彼からすれば、


私に対して、リーダーとしてリスペクトや信頼がないのは仕方がなかったと思うが、


山においての安全管理の面では実際かなり困った。



私には、四月から社会人としての生活をスタートする息子を


無事に日本に送り帰す義務がある。私と公の両方において。


保険に加入してきたとはいえ、事故があった時の搬送手段や病院の設備などが


日本とはまったく違い、手術や入院などになると事態は深刻である。


すこし安全面に神経質になりすぎていた私が、息子にはかなりウザかったとは思うが、


慎重すぎる事自体は、間違ってはいなかったと今でも思う。



息子は去年の夏、よく友達と行っていた六十谷のなんてない山道で転び、


運悪く尖った岩に膝を打ちつけてしまった。


救急車で運ばれ、手術をし二週間ほど入院した。幸いひざはほぼ完治したが、


なんてない山道の方が、気が緩んで逆に危険なのは登山本にもよく書いてある事だ。



さて話を、ヒマラヤトレッキングに戻そう。



息子は、思いっきり膝に負担がかかるような下り方をしていた。


一日の登山ならともかく、長期の縦走では大丈夫だろうかと不安だったので、


2,3度、膝に負担が少ない歩き方をアドバイスしたが無駄だった。


仕方ないと、そこは目を瞑った。痛みが出てければ、また彼なりに考えるだろう。



雨に濡れた石の階段を降りている時は、靴底を滑らさないように慎重に歩くのだが、


息子はときおり底を滑らして降りている、滑ることを予測しているから大丈夫なのは分かる。


なるべく滑らさないように注意するが、聞いてくれない。ちゃんと降りてるやろ!と息子。


私からすれば不安で見ているのがガマンできない、不用意なリスクは少しでも避けたい。


万一足首を軽く捻挫しただけで、この山がすべて終わってしまうかもしれないのだ。


雨の中、立ち止まり彼の足元を指差しながら「絶対に滑らすな!」とキツく言ってしまう。


お互い無言でにらみ合い、気まずい空気でまた歩きだした。



登山道の崖側が、ごくたまに崩壊している箇所があった。


私の斜めうしろで崖側の端を歩く息子に「崖側を歩くな!」と


振り向かずにキツく冷たく言い放つ。


カラダも疲れてきて、何かを言って腹を立てるのはもういやだった。


必要最小限の会話だけにしようと、しかたなく考えていた。


だが彼は崖側を歩くのを止めない・・・もうええわ、勝手にせいや。


「どこ歩いてもええわ!好きに歩けよ」 がまんの効かないリーダーだった(笑)



Himalaya(2920m) ゲストハウスは2軒。左に写っている宿の家族に値段をたずねたのだが・・。




疲れて最後はフラフラになりながら、なんとかHimalayaに到着!


左右に、二軒あるゲストハウスをどちらにしようか見てみる事にした・・・。




次回につづく!




  



2013年04月16日

ネパールへの旅 vol.10 チョムロン~ヒマラヤ



3月8日(金)


現地で書いていた日記を読みかえしてみても、この日の文章は


愚痴と弱音のマイナスオーラに満ちている。ええ年こいて情けない。


風邪や前日の疲れでカラダが、今までの旅や不自由なコミュニケーションで


ココロがかなり弱ってたのかも知れない。今から思えばの事だが・・・



ポカラに向かうバスに乗った日あたりから、息子の態度がおかしいのだが


はっきりとした原因は解らない。


まぁ元々日本を出発したときから、何を言っても冷めた態度と言動だったのだが。


この旅は彼にとって初めての異国で、言葉が通じない緊張感や遠慮のない


ネパール人達の視線、そして旅慣れずあまり頼りにならない父。


もともとナイーブな息子にとってはかなりハードな環境であるはずで、


そんな諸々の旅の疲れが息子を不機嫌にしているのだろうか?と考える。



「旅の疲れ」と言えば、もうひとつ忘れられない出来事がある。


ポカラのゲストハウスの食堂でパスタを待って座っていたところに、


荷物を預けて出かけていた若い日本人の女子ふたりが帰って来た。


昨夜、星を見に屋上に行った時に、先に居た彼女たちとお互い顔の見えない


暗闇のなかで挨拶をした。そのときは確かごく普通な感じだったのだが・・・。



「こんにちは」、テーブルの横に置いてある荷物をまとめる彼女たちに言った。


「こんにちは」とひとりが笑顔で返してくれる。


「ん?」もうひとりの女子が、しかめっ面で思いっきり顔を横にそむけたような


気がするが・・・?なんだ?



「バンダ」でタクシーが走っていないため、彼女たちは空港まで重い荷物を


背負って歩いて行くという。宿の夫妻にその事を嘆いている彼女たち。


そして私は「カトマンズまで飛行機ですか、暑い中たいへんですね」みたいな事を


言ったと思う。


「そうなんですよ~」と笑顔の女子、もうひとりは・・・また苦虫を噛み潰したような


表情で顔をそむけた。今度は気のせいじゃない、あまりにもあからさまだ。


おいおい!なにっ?戸惑う私。なにか悪い事言ったか?俺?


こんなに目の前の女性に嫌な顔をされたのは、人生初である。


あまりにもストレート!もしかして腹の具合か?たぶん違う、原因は私だ。



こんな反応をされるのは、自覚ゼロだがやはり私がオッサンになってるからか?


これから年をとっていくと、若い女子に気軽に話しかけたらこんな仕打ちも


ちょくちょく味わうことになるんだろうか?


うろたえながら色々なことを考え、「パスタができたら呼んでください」


夫妻に言って、逃げるように階段をおりて部屋に帰った。



息子とモメて気まずくなって食堂に上がったのだが、上でも若い女子に


やられてしまった(笑) となりのベッドでは、息子が背をむけて寝ころんでいる。


それを見ながら、息子といい、さっきの女子といい、「なぜそんな?」と考えた。


「旅の疲れ」、結論はそれに至った。主な原因は「旅の疲れ」であって私はその


とばっちりを食らっているのだと!わたしが「大人」だから八つ当たりを喰らってるのだ!




《 余談ではあるが、このエピソードをロジェでお客さんたちに語ると「マスターの視線が


きっとエロかったからや!」と一同一致に決め付けられた!


たしかにネパールで会う初めての若い女子、そして愛想の悪い彼女は悲しいことに


けっこうかわいくて巨乳ぎみではあった。


「いきなり胸をじろじろ見たからちゃうの!」とツッこんでくる常連さんたち、


断じてそれはない!と言い切っておいたが、皆ニヤニヤと意地悪な笑いであった。》




彼女達は旅が6日目だと言っていた、明日は日本に帰るらしい。


わたしたちはまだ4日目だが、息子も彼女もそろそろ「旅の疲れ」できっと心に余裕が


なくなってきているのだ。


「大人な私はそれを理解してあげて広い心で接してあげなければ」と・・・


考えがそこに至ったのだが、その時もたぶん今も私には無理な話である。


「ガキはめんどくせぇ!知らん!」これで終わる。開き直るわけじゃないが、


そんなに人間ができてはいないのだ。いつかできるようになるのだろうか?


無理かな、たぶん(笑)




くだらない話で今回は終わってしまいました。スイマセン


次回は山の話で!




食堂の窓からヒマラヤの8000m級が見えている、こんな大いなる場所にいて小さい事でモメたり

気にしたりする私達。あぁ・・











  



2013年04月12日

ネパールへの旅 vol.9 ナヤプル~チョムロンⅡ


3月7日(木)


突如ジープは止まって、皆が降り始めた。どうやらここが終点のようだ。



山の朝の空気はさわやかだった。



同乗していたガキんちょ達、なかなかイイ面構えである。



さぁいよいよトレッキングのスタート!


ジープで走ってきた道を、そのまま歩いて行けばガンドルンの村に着くはずだ。


「ノー!ノー!・・・・・・!」少し離れた所に座っている男たちが、何やら言っている。


どうやら彼らが指差している、道からそれた細いあぜ道が村へのルートらしい・・・


「こんなん絶対わかるかよ!」


メジャーなトレッキングルートだから、当然ルート標識などがあるものだと思っていた。


結局、今日の目的地チョムロンに着くまで、分岐などにルート標識はひとつもなく


その考えが甘かった事を思い知らされるはめになった。



コーナーを曲がると、いきなり遠くにヒマラヤの山々が!これからあの近くまで歩いて行くのだ。




仔ヤギ?



65000分の1が、いちばん詳細な地図だったので仕方がなく購入したが


地図が大まかすぎて、記載されていない分岐や道もありややこしい。


さっそくGHANDRUK(ガンドルン)の少し手前の川沿いに降りる分岐を見逃し、


村のなかに入ってしまう・・・。


モディ川沿いのNew Bridgeという集落を経由してChommrong(チョムロン)


を目指す予定だったのだが、Kimrongkholagoon経由の山中ルートにやむなく


変更することにした。


「等高線を見ればわかるやろ」と息子は言うのだが、この縮小図では10m単位の起伏など


まったくわからないのだ。



GHANDRUK発~Komrong~Kimrongkholagoon~Romi~Salanpru~Chommrong着

に変更!



Komrongという峠の集落に向かう分岐がわからず、他のグループのガイドや


地元の親子づれに、たどたどしい英語でルートを尋ねてみる。


「ノーガイド、ノーポーター?」心配そうな表情で彼らは聞いてきた。


このトレッキング中に何人に同じ質問をされただろう?、だがそれも無理もない・・。









ガイドを雇えば、ルートも食事も宿泊先の手配もまったく心配がなくなるし、


トレッキングエリア内の最新情報(盗賊やマオイスト、積雪の状態など)を


常に知ることもできる。


よけいな不安がない分、より深く自然や景色を楽しみながら歩けるだろうし、


ガイドから教えてもらう知識で、その土地についてのより深い理解をもたらして


くれるだろう。


そのうえポーターに重い荷物を持ってもらえば、口笛まじりに登って行けそうだ。


だけども、そうなるともう私にとって山に行く意味がほとんどなくなってしまう。


それぞれの山の楽しみ方があり、なにも苦労したからって偉いわけじゃない。


すべては個人の好みの問題だと思う。



自分達だけでルートを決め、その日の宿泊地を決め、重い荷物を担いで登る。


それが私の好みなだけだ。それに付き合う息子には心配をかけただろうが・・・


とかなんとかカッコつけても現実は、道もろくにわからず英語もヤバイ、


困ったジャパニーズやったんやろね(笑)




3~400m登り、川を横切る為に3~400m下り、また3~400m登る。そんな箇所が二回もあった。

せっかく高度を稼いだのに、下るのは精神的につらい!



昼過ぎくらいから小雨がぱらつき雷もなり始めた、変わりやすい天気にさらに山を実感する。




雨対策のザックの防水について、息子と口論になる。


むりやり私の意見を押し付けて、より強固な防水を施したが、結果としてそこまでする必要


はなかった。


息子に対してキツイ物言いになってしまったが、そのときは自分の心も余裕がなかったのか


なにかと反抗的で、こちらの意見を素直に聞いてくれない彼にムカついていたと思う。



雨で気温が下がってきた。夕方5時頃なんとかチョムロンに到着!


初日からけっこう体力的にハードだったが無事着けて一安心、


ここからゴールまではモディ川沿いの一本道だから、迷う心配はほとんどないはずだ。



チョムロン(2170m)のロッジにて、掛け布団はなく寝袋を使って寝る。



外観が感じよさそうだったので、宿の主人らしきオジサンに値段を聞いてみる。


素泊まりで一人300ルピー(約400円)で、温水シャワーもあるとの事。


ふたりとも汗と雨でべちゃべちゃである、シャワーはありがたい。


とりあえず部屋に荷物を降ろし、離れにあるシャワー室を見に行く。


なんやこれ・・・・こんな小さな給湯器は見たことないぞ(-_-;)


予想どおりシャワーキャップからチョロチョロ伝うぬるま湯に奮闘するはめに・・・


寒いっさむっ!カラダに付いた泡を流すのにも苦労しながら浴びる。


うぉーと叫びながら部屋に戻り、あわててカラダを吹く私を息子は冷ややかな目で


見ていたが、十分後、彼も震えて叫びながら部屋にとびこんで来た(笑)



早い夕食を、これは何の料理でしょう?やめといた方がいいんとちゃうと忠告したのだが・・・




ネパールの定番料理、「ダルバートタルカリ」をいただく。ちなみに息子が注文したのは「ドリア」




ダル(豆のスープ) バート(ご飯) タルカリ(おかず) おかわり自由である、全部カレー風味だった。



グルンブレッドまたはチベタンブレッドというらしい、ほんのり甘くて素朴な味で美味し!



咽喉の痛みは治まらず、すこし寒気もする。幸い熱はあまりないと思うのだが


明日からに備えて早いめに寝袋にもぐりこんだ。


19:00頃就寝



次回につづく・・・

  


2013年04月10日

ネパールへの旅 vol.8 ナヤプル~チョムロン


3月7日(木)


AM5:00 起床


咽の痛みは去ってくれず、やはり風邪を引いてしまったようだ。


このタイミングでツライ事になってしまった・・・(-_-;)


もし今日もバンダが行われるなら、サランコット(1592m)という山を越えて


ダンプスというトレッキング拠点の街まで歩く予定にしている。



AM6:00 知人のタクシードライバーに電話をしてくれてるクリシュナさんの


ネパール語のやりとりをじっと見詰める。どうやらバンダは中止らしい!



AM7:00 ご夫妻に見送られながら、予約してもらったタクシーに乗り込む。


「けっこう重いですね!」息子の50Lザックを持ってくれたクリシュナさんが


心配そうな顔をしてくれている。彼はほんとに優しい人だ。


たしか昨日も奥さんが、雪山の経験はありますか?と優しく聞いてくれていた。


それも無理はないだろなと思う。


アウトドアに縁遠そうなオヤジとその息子、ほとんど会話がない二人。


前日、大声で怒鳴りあいをしてたのもたぶん聞こえていただろう、


英語もダメなうえに、ガイドもポーターも雇うことなく山に行く我々を客観的に


見ればかなりヤバそうに思えるはずだ。


実際、わたしもかなり不安なのだから・・・。




出発前、奥さんに日本の連絡先を教えといてほしいと言われる。


「もし帰ってこなければ、預かっている荷物をそちらに送らせてもらいますね」


一瞬ハッとしたが、「そういえばそうだな」と納得する。


強盗の被害報告やマオイスト達による不法な通行料の請求など、


メジャーなトレッキングコースとは言え、山の事故以外にも危険は多いらしい。


いい意味で、さらに気が引き締まった。よし行くか!





カトマンズで購入した、6万5000分の1の地図。Nayapulまで一般道が走っている。




AM8:00すぎ  拠点の街、ナヤプルに到着。朝早いからかトレッカーは自分たちだけだった。




ナヤプルのメインストリート、さぁいよいよやなと不安と緊張感が高まる。



タクシーから降りてすぐは、緊張からか足元がふわふわした感じで思考もまとまらない。


息子の方は、どう感じてるのだろうか?


メインストリートを歩いていると、ようやく少し気持ちが落ち着いてきた気がするが・・。


通りの先を見ると、大型ジープを囲んで人だかりができていた。


あれが情報に聞いていた乗合ジープだろか?


ガンドルンという村の手前くらいまで、荷物や人を運んでいるという。


ジープに乗れると2~3時間の退屈な林道歩きを省くことができる。




「ガンドルン?」とドライバーらしきイケ面の若者が聞いてきた。


「イェ、ハウマッチ?」と私、二人で1000ルピーだと言う。


相場がまったくわからない、600でどうだ?と言うと顔をしかめた。


けっきょく800ルピーで手を打ったが、


「しょうがねぇなぁ」というジェスチャーの割には、


そむけた顔がニヤニヤしてる・・・わかりやすい兄ちゃんだぜ!


私らは、ラッキーな客なんだろな。地元の子供たちはいくらなんだろ?


たいした額じゃないが、イケ面がデカイ態度なんでなんか悔しい。







前列には、息子とおばさんとドライバーの兄ちゃん。


二列目に地元のおじさん、おばさん、私、そして私とドアとのわずかな隙間に


小さい地元の女の子。せまくてかわいそうだったが、ぎちぎちなんで仕方がない。


後ろの荷台にはヤンチャな男子三人と大量の荷物。


詰め込めるだけ詰め込んで、けっこうなスピードで走る走る!


しっかりどこかに掴まってないと天井に頭をぶちつけてしまう!


根拠はないがたぶんこのクルマは安全で大丈夫だ、スリルがあって楽しい。


無表情で前を見ている息子は、どう感じているんだろうか?




ではまた次回に!




  


2013年04月08日

ヒマラヤトレッキング,ネパールへの旅 その7


3月6日(水)


宿の近所のレンタサイクル屋の若者たちは、最初から愛想が悪すぎた。


他の店を探すのが面倒で、ぶっきらぼうな兄ちゃんがオススメだという


自転車を借りたのだが、走り始めてすぐに後悔することになる・・・。


わざとハズレをすすめたとしか思えないぜ、ファッ~ク!



ママチャリ用のサドルでペダルが歪んでるのはガマンできたが、すこし走るとサドルが上に突き上げ

てくるのと、ペダルを強く踏むとチェーンが外れ、手が油まみれになるのにはまいった・・。




湖で漁をする親子たち、父親が投網を水面に打っていた。




息子さんが日本で働いていた事があるという老人と互いに怪しい英語で話す。そばにいたシャイな

子供たちは、この後、私たちの自転車を笑いながら走って追いかけてきた。無邪気でいいなぁ~と

思ったのも束の間、老人が見えなくなると突然「マネー!マネー!」と叫びながらしつこく追いかけて

きた!たくましいもんだとおもわず苦笑。



サイクリング中にも、いろいろと行き違いがあり


朝から機嫌の悪い息子が、とうとう一緒にいるのが嫌になったのか


昼12時頃に宿に帰るから、ひとりにしてくれと言い出した。


別にその提案は全くかまわない、こちらも一人は一人で大歓迎である。


しかし私は私なりに、どうも反抗的な息子と何とかうまくやっていこうと


苦心していたつもりだ。


なぜにそんな態度なんだ?さすがに腹立たしく、無性にムカついてきた。


「思春期めんどくせ~ぞ!」とさけびながら、その勢いでレンタサイクル屋に乗り込み


「ヘイ!こんなもんチェンジやチェンジ!」とサドルを手で叩きまくって、


兄ちゃんとにらみ合いながら交換してやった。なめんなよコラ!




おばさんたちが、おしゃべりしながら洗濯物を干していた。ネパールはかなり空気が乾燥している。






湖を眺めている、親子づれ。太陽の下にいると汗がにじむほど暖かかった。











ムカついたマイナスの感情のまま、街を走りまくったのが悪かったのか、


昼に宿に帰ると悪寒を感じ、のども少し痛くなってきた。


「やばいなぁ、これから山に入っていくのに・・・」と不安になり、息子やレンタの兄ちゃんに


対する負の感情が風邪の原因を作ったのだと、反省する。



帰ってきた息子と、山に向かうにあたり、宿に預かってもらう不要な荷物の事で


また揉める。軽量化に対する考え方にかなり差があった、私も神経質すぎたのかも。



互いに無言の気まずい雰囲気で、宿の夫妻に作ってもらったトマトソースのパスタを


いただく。


ご主人のクリシュナさん曰く、明日も「バンダ」の可能性があるという。


日数に余裕があるとはいえ、さすがにこれ以上時間を無駄にするわけにいかない。


明日の行動をどうするか悩みながら、ふとんにくるまり夕方まで横になる。


あすの朝6:00の時点でしか強制ストが行われるかどうかは判明しない、


体調回復とバンダが中止になることを祈りながら、ひたすら睡眠に努めた・・。




お待たせしました。次回から山に入っていきます。










  


2013年04月03日

ヒマラヤトレッキング,ネパールへの旅 その6


3月6日(水)


「バンダ」とはネパール語で、閉じたという意味です。

それがストライキと同じ意味合いで使われているようです。

NepalBandh.com(ネパールバンダ最新情報サイト)

バンダは指令する団体によりいろいろありますが、

中身は交通機関・学校・商店・会社の「休業・休校」で市民生活がマヒします。

マオイストのバンダの場合は「休業・休校」が自発的なものではなくて強制的に行われます

(営業していると石を投げられたり、報復されたりする場合があるので皆、休みます)。



「マオイスト」 ネパール共産党統一毛沢東主義派

政治的思想・立場

共産主義

マルクス=レーニン主義

毛沢東思想



「バンダ」が行われるかどうかは、当日にならないと分からないらしい。


昨夜遅く、宿のご主人のクリシュナさんが知人のタクシードライバーに電話して、


バンダが始まる朝6:00になる前に、トレッキング拠点の村「ナヤプル」まで


私たちを運んでくれるよう交渉してくれた。運賃は相場の3~4倍だったが・・・


交渉の結果、早朝4:00にナヤプルに到着で良ければ4000ルピーで運ぶとの事。


金額はともかく、どんな村かも知れない場所で夜明けまでの2~3時間を待つのは


、危険で退屈だと判断し。丁重にお断りした。



朝5:00頃起床


6:00にクリシュナさんに電話でバンダ情報を聞いてもらった。


やはりこの日は夕方6時まで強制ストライキらしい・・・。



自ら歩いて山を越えて「ダンプス」という、もうひとつのトレッキング拠点


の村まで行く選択も考えたが、8時間以上歩くのと、もし明日早朝タクシーに


乗れればそんなにスタート時間が変わらないのと、一日くらいゆっくりしたいと


いう息子の意見もあり、今日一日はゆっくりポカラ観光することにした。




いつまでも起きない息子と朝から一揉めして、一人で街に出かける。


少し歩いてレンタサイクルに向かう。自転車を借り、一人で観光をしようと


思ったが、思いなおして宿に戻り、気が進まなさそうな息子を連れ出して


二人で自転車を借りに行った。


おせっかいすぎで、そっとしといてあげたほうが良かったなと今なら思う(-_-;)






街のメインストリートでは、うるさいクルマやバイクもなく、


子供や大人もサッカーやバトミントンで遊んでいる。 


ネパールに来て初めての長閑な街の空気に、


観光するなら「バンダ」もそう悪くないなぁと思った。





ポカラの街は、そこらじゅう牛がのんびり闊歩している。慣れたらすぐに当たり前の風景になる。



五分も走らないうちに、のどかな湖畔沿いの道になり、気持ちよくサイクリングを


楽しめる・・はずだったんだが!


私のほうの自転車が・・・(別にたいしたオチはないですが、出勤時間なので次回に!)

  


2013年04月02日

ヒマラヤトレッキング,ネパールへの旅 その5

3月5日(火)



カトマンズ~ポカラ間は約200km、片道400円くらいのツーリストバスで


7時間ほど。


私たちが前日に予約したのは、約900円のデラックスバスで6時間ほどで着くらしい。


デラックス?外見は新しそうに塗り替えていたが、車内に乗り込んでみると


おそらく日本なら廃車にされているでだろう年季の入ったバスだった。


 

朝7時ごろ出発。車窓からカトマンズ郊外の慌しい雑踏をながめていると、


気分はまるで「深夜特急」のドラマで主役だった大沢たかお。







娘から借りてきたウォークマンで、ドラマの主題歌だった陽水の「積荷のない船」を聞くと、


ぞわぞわぞわっとカラダに震えが走った、涙腺もすこしゆるんでしまう。


心が過剰に反応すると体が震える、忘れかけてたくらい久々の感覚だなと思い、


「来てよかったな」とあらためて思った。




凸凹の多い路面の衝撃に、乗客のカラダは上下に跳ねる。ほぼノーサスペンション!


パラリラパラリラ!なにかの挨拶なのか?暴走族のようなクラクションを鳴らしまくる


地元民ぎっしりのカラフルなオンボロバス。


狭い道路なのに、無理矢理、追い越し追い越されを繰り返すクルマたち。


正面衝突寸前まで突っこんで行く!よく事故らずに走ってるもんだ(-_-;)


渋滞してるところに、反対車線を走り、突っこんで行く乗用車でさらに渋滞!


結局、ポカラに着いたのは8時間以上たった15時半ごろだった。





16時に受付が終了するネパール観光局に、急いで向かい


TIMS許可書とアンナプルナ保護区入域証というものを申請する。要するに山の入場料だ。


私の拙すぎる英語のせいか、高圧的な役人のあきれ気味な対応・・・かなり冷たい。


焦りの汗をかきながらも、何とか証明書を発行してもらえた。


くそ~!英語ができれば、帰り際に軽くイヤミなジョークでも言ってやれるのに!




その後タクシーを拾い、「空ゲストハウス」という宿に向かう。


ネパール人の旦那さんと日本人の奥さんが温かく迎えてくれた。


いい宿にめぐり合えて、このあとポカラではずっとここでお世話になる。


清潔な部屋で温かく水量があるシャワーを浴び、やっと一息をつく。


ここではクラクションも街の騒音もほとんど聞こえない。


朝からハードな移動とストレートなネパール人たちと、なぜか不機嫌な息子の態度・・・


さすがに今日は疲れた。




夕方、街に出て、イタリア料理店でピザとパスタを食べる。


夕暮れのフェワ湖あたりを歩いたあと、アイスを買ってポカラのメイン通りを眺める。


明日はトレッキングの出発地までタクシーで移動する予定なのだが、


宿の夫妻の情報によると、「バンダ」という強制ストライキのため交通機関がストップ


するかも知れないとの事。さてどうしようか・・・



  


2013年03月28日

ヒマラヤトレッキング、ネパールへの旅 その4

3月4日(月)



明日の早朝、長距離バスでポカラという街に移動する。


大きな湖のほとりにある有名な観光地で、標高わずか800mの亜熱帯気候。


ちなみにカトマンドゥは1330m、ポカラより少しだけ涼しい。


私達がトレッキングで向かう予定の(と言っても4000mちょいのベースキャンプだけど・・)


アンナプルナ(8091m)やマチャプチャレといった神々の山が、すぐ近くに望める街だ。



 

ポカラからの風景、誰かが撮った写真を使わせてもらってます。




さて、無事にあたらしい宿にチェックインした私たち。


荷物を部屋に降ろして、銀行に両替がてらカトマンズの街に出かける事にした。


ひっきりなしに鳴り響くクラクション、いろんな人間や動物や食べ物などが、ごった煮


になった繁華街に圧倒されながら歩く。 


これがアジアな感じなんだろな。なんだか自分にしっくりなじむ。



街中は排ガスと土煙りだらけ、マスクを装着している地元民もちらほら。






ネパール滞在中、ゆずりあい精神は一度も見なかった。とりあえず突っこんでクラクション!





   

カトマンズの犬は、たいがい昼間からこんな感じでヤル気ゼロ、露天のブラジャー屋?




看板もメニューもない、完全地元仕様の店で軽く昼飯。愛想メチャ悪し(-_-;)アウェー感バリバリ!




「ウォー」ネパール風お好み焼き、約100円。たぶん30円くらいかな、油が悪いのか変にもたれた。




いったんゲストハウスに戻り、汗と土ぼこりをシャワーで流して軽く横になる。


喧噪のなかを歩くだけでパワーがいる、昼間の陽射しはけっこう強力だ。


フロントに降りると、息子とスタッフのスーザンが、互いに日本語と英語を教えあっている。


私といる時はほとんど笑わない息子の楽しそうな顔を見て、よかったなと思う。少しさびしいが・・



スーザンは地方から上京してきた大学生で、ゲストハウスに住み込みで働いているらしい。


このやたら陽気で愛嬌のある好青年には、この後もいろいろとお世話になった。


晩めしを食べに、ふたたび夜のタメルに繰り出す。


湿度が低いからか、日が暮れるとかなり涼しい。




日本人経営の有名なカレー店、滞在中いろんな日本料理屋に行ったがスタッフに日本人が居た

事は一度もなかった。一番人気だというカツカレー、今まで食べたカレーで一番がっかりした。




世界中の登山家やトレッカーたちが集うという、ダイニングバーで飲んだ。ツボルグというデンマーク

のビールで乾杯!息子にシェリー酒をオススメした。つまみに出されたポップコーンをノンストップ

で慌しく食べた後、指を舐めていた。ここは何も注意しないでおいたが、言っとくべきだったかな。

やはりバーでゆっくり飲むには少し早かったみたいだ。まだ18やもんね



次回は、ヒマラヤに目指してポカラへ!

  


2013年03月26日

ヒマラヤトレッキング、ネパールへの旅 その3


3月4日(月)



6:00頃起床


ベランダに出て、通りを眺めるとホームレスぽい人達が


焚き火を囲んで、歯磨きしていた。異国感あふれる風景、


朝はけっこう冷える。




朝食を食べに街に出ようと、フロントに降り、昨夜のアニキとあいさつをかわす。


チヤという砂糖入りのミルクティーをごちそうになり、


カメラを片手にゲストハウスの玄関に出た。



「カトマンズ、マドゥバン、ゲストハウス」という名の宿だった、あれ?



到着日とその翌日の二泊を、ネットで予約していた。


「シェリーチベット ゲストハウス」という名前だったはず?ホワイ?


拙い英語力で、フロントのアニキに説明しようとしたが通じない。


とりあえず日本語ができるオーナーの出勤を待つことになった。


「はぁ~今日もなんか色々ありそやね・・・」と息子につぶやく。



その後、私たちは急いで荷物をまとめチェックアウトして


地図を片手に、朝の繁華街に出発した。


この事態のてん末を、簡単に説明すると、


マドゥバンゲストハウスは、私が最初に予約サイトで予約した宿だった。


後日、そのサイトで「マドゥバン」をキャンセルして「シェリーチベット」を予約したのだが、


「マドゥバン」側は、サイトの方からキャンセルの連絡がなかったと言う。




「ワタシ、シェリーチベットのオーナーと知り合いネ」、と電話する「マドゥバン」オーナー


ネパール語で親しそうに話している、でかい声で結構長電話した後に、


「向こうのオーナーに話しました。アナタ、今日もここに泊まっても問題ないよ」


「でももし、あちらの宿に行くならそれもOKだと思います」との事。



この場でこれ以上、細かい説明をしても仕方がないと判断して


その場で支払いを済まし、宿を出た。朝めし食って「シェリーチベット」に行こう。



「パンケーキと珈琲が美味い」とガイドブックに載っていた「ちくさ茶房」にて朝食、ネパール初日に

緊張ぎみで食べてたなと、後日にまた来た時に懐かしかった。



あらかじめ地図に印を付けていた、シェリーチベットの位置を確認しながら、


タメル地区という、世界中からの旅行者とあらゆる店がカオスになった繁華街を歩く。


狭い道で、クラクションを鳴らしまくるタクシーやバイク、カタコト日本語の客引き、


排ガスと土けむり。多くの大人の男たちが、ヒマそうに店先に座っている。


かれらの遠慮のない視線に少し気後れしてしまう・・・(-_-;)


地図上ではあるはずの場所に「シェリーチベット」が見当たらないぞ、


二人で辺りをウロウロしていると、スーツを着たおじさんが英語で話しかけてきた。



朝から短い時間の間に、すでに色んな胡散臭い連中に声をかけられていた私たち。


「何処に行こうとしていますか?」と落ち着いた感じで言ってくれている、おじさんにも


警戒してしまう。ダメもとで「シェリーチベット~」はどこなんでしょうかねと聞いてみると、


「オー!そこのオーナーはマイフレンドだ!ついて来なさい!」みたいな事をで言って


ずんずん先を歩き始める。



「なんかアヤシない?」と息子、「やっぱり怪しいかな?」と私。


「そこの角をこっそり曲がって逃げよう」という息子の提案に乗り、おじさんを撒こうと


したが、気づいたおじさんが追いかけて来て「オーナーに電話したから、出てみろ」


とケイタイを渡された。日本語を話すオーナーに確認をとり、おじさんに案内してもらった。




「後でお金を請求されるんやろなぁ、いくらくらい渡そうかな?」と考えてた私の予想に反し、


案内してくれたおじさんはホテルのフロントからスタスタと出ていってしまった。


あわてて彼を追いかけ、お礼のチップを渡す。異国とはいえ、あまり人を疑いすぎる自分も


イケてないなぁと恥ずかしかった。気負いすぎな自分を少し反省。




「シェリーチベット」のスタッフはいい感じの人達で、日本語を勉強中だという21歳のスーザンという


陽気な男子が部屋を案内してくれた。


どうやら昨夜空港に迎えに来てくれていたらしいので、事の次第を説明する。


予約サイトは、クレジットカード決済だったので、やはり昨日はそれぞれの宿泊代を払った


事になってしまった。まぁ1500円くらいの損だけど・・・。


シェリーチベットのオーナーに「マドゥバン」から電話があったでしょう?と言うと


そんな人は知らないとの事、あのオーナーは誰としゃべってたんだ(笑)



 

旅の最終日の朝食を、再び「ちくさ茶房」にて。初日と比べると、息子がたくましくなってるような?



こんなペースで旅日記を書いていると、いつまでも終わらない気がしてきました。


読んでくださってる皆さんにも、退屈されそうでヤバイですね。


次回からはサクサクと時間を進めて行きます。


よかったらまた読んでみてください、ではまた次回に!

  


2013年03月23日

ヒマラヤトレッキング、ネパールへの旅 その2


3月3日(日)



ネパールでは、電力不足のため毎日12時間ほど計画停電をしている。


その影響なのか、空港を出ると街中はいきなり暗闇となった。


予約している一泊700円のゲストハウスのお迎えの連中の、


サビだらけでボロボロのトヨタに乗っけられた、緊張ぎみの私と息子。


 混乱する空港の出口で、「Takeshi Miki」と書いた紙を持った彼らを見つけた時には、


ホッとしたものだったが・・・。



乱暴な運転の無口な若者と、助手席の片言の日本語を話すもうひとりの若者。


へんなガタガタの狭い抜け道に入って行き、通行止めの看板を見て引き返したり、


やたらキョロキョロと焦った運転で、微妙に怪しいムードなのである。




「なんかちょっとヤバイかもな・・・油断せんとこ」と隣の息子にささやく。



もしもクルマから降ろされたり、逃げたりしなきゃならない状況になった時の為に、


ヘッドライトの灯りに映る街の景色を少しでも覚えておこうと、前方を凝視していると



暗闇のなかに警官らしき集団が見えた。


検問だろか?笛を吹いてクルマを止めている。



しかしオンボロトヨタはスピードを落とさず、「クソッ!」みたいなネパール語を吐くと


いきなり検問を突っ切って行く!警察の笛が響き渡り、皆が一斉に動き始めた。


「おいおいっ!」と焦る私たち、「ノープロブレム!ダイジョーブ!」と助手席の男。


悪いが、この状況で説得力ゼロやろ・・・。



結局、土のガタガタ道でろくにスピードも出せず、


すぐに前方の複数の警官に囲まれ止められた。


「免許書!」みたいな事を言われて、ポケットや車内をがさごそしてる運転手。


「ないんやろな、どうせ・・」。


警官たちは、私たちにも懐中電灯を照らして念入りにチェックをしている。



「ソーリー、ノープロブレム!ノープロブレム!」 そう言い残して車外に連れ出される二人、


悪い人間じゃなさそうなんだけどなぁ・・・。


車内でずっと、外の揉めている様子を眺めていると


なんやらこの状況が面白くなってきて、


「さっそくネパールの洗礼を浴びたなぁ」と息子につぶやいた。



ボンネットの上で書類にサインをさせられている運転手、無免許?不携帯?なんやったんやろ。



その後、我々のクルマは再び暗闇の街を走り、


タメルという街いちばんの観光街にあるゲストハウスに到着した。


なんか気の毒な気がしたんで、ドライバーの無口な彼にチップを1ドル渡すと


「ユーアー ベリー ラッキー!」 と連れに肩をたたかれていた。


そんなんで、さっきの出来事と釣り合いがとれるんか?(笑)



停電中の為、薄暗い照明の部屋にザックをおろし、


「はぁ~着いた~」と、やっと一息つけた。


とりあえず、カトマンズに到着。


ちょろちょろと温いお湯しか出ない、シャワーと格闘し、


ベッドにもぐりこむ。


目の荒いシーツは、かすかに香辛料の匂いがした。


泊まったここが、実は予約していたゲストハウスじゃない事が明朝に発覚する。続きはまた・・・



  


2013年03月22日

ヒマラヤトレッキング、ネパールへの旅 その1



3月3日(日)



JR和歌山駅東口からバスで関空へ向かう。


旅慣れぬ私には、関空で飛行機に乗るまでの手続きにも不安がある。


旅のパートナーである18歳の息子には、ワクワク感や楽しそうな気配は


全くなさそうだ。


だがそれも無理もない事なのである。


今回の旅は私が一方的に決めてしまった。


息子が山岳部に入った三年前くらいから、いつか一緒に海外の山を歩いて


みたいと思い続けていた。個人的にもヒマラヤに憧れがあった。



音楽好きの彼はネパールやヒマラヤなどではなく、ロンドンに行きたかったらしい。


空港の本屋で「ファミ通」というゲーム雑誌を買い、飛行機に乗り込む寸前まで


友達とメールや電話のやりとりをしていた。






中国南方航空で関空から中国の広州まで飛び、そこからネパールの首都カトマンズへ。


愛想のないCAが、英語で飲み物や食べ物のチョイスを問いかけてくるのに


緊張しながら答える 「チ、チキン プリーズ!」 息子も同じくたどたどしい(笑)


大丈夫か、俺らのコンビは。



 

広州空港にて。売店で息子が買ったキットカットみたいなチョコが2つで900円!なんやそれ!

日本で買ったら一個80円くらいのサイズやのに・・・(-_-;)



広州空港で、カトマンズに向かう飛行機に乗り込む。


三列の座席で、息子は通路側、私は真ん中、窓際の席に誰も来ない。


広くてラッキーと思ってると、最後の最後に乗客が現れた・・・。


背が高い豊満な白人女性、一瞬よろこんでしまう自分。


しかし彼女は、私ら二人を見てあからさまに嫌そうな顔をした。


昔フランスに行った時に、いやと言うほど見せられたあの表情だ。


おそらくレイシストな彼女は座席に着くと、おもむろに服を脱ぎタンクトップになった。


情けないことにまた一瞬喜んでしまう自分・・・


しかし直後に、彼女の体臭がおしよせてきた!間違いなくこいつはワッキーだ。


おまけにすぐに上を向いて口を開けてイビキをかいて寝始めた、なんてツワモノなんだ。


なぜか微妙な敗北感を感じてしまった。


食事のあと、彼女の食べた皿を、CAに橋渡ししてあげても礼もないどころか


いっさい目をあわそうともしない。ここまでくればある種立派だな、徹底している。




ネパール料理風の機内食、見た目は悪いが・・・やはり食べてもイマイチだった。




現地時間の夜11:00頃、カトマンズの空港に到着。


どこの国でもやたら偉そうな役人だらけの入国審査、ビザの申請を緊張しながら


クリアして、預けていたザックも無事ターンテーブルに運ばれてきた。


よっしゃ!とうとうネパールやな!と気合いが入る。


空港の出口には、強引なホテルの客引きやぼったくりタクシーの連中であふれてる。


なんか照明が薄暗いので、よけいに彼らが不気味に見える。眼ヂカラがこわい。


突入の前に、ちょっとトイレでクールダウンと・・・なんやこの荒廃した不良高校みたいなトイレは!


これで国際空港のトイレなんやもんなと、あらためて遠い異国に来たという気がした。


トイレの外で息子を待ってると、前から隣に座ってた白人女性が歩いてくる。


不覚にも思わずニコッと笑いかけてしまったのだが、彼女は私がそこに存在しないかの様に


フル無視して通り過ぎて行った。ぽつねんと立ち尽くす私・・・。


フッフッフッ、OK!OK! 私もクールにいこうじゃないか。


なんだかハートがタフになりそうな旅になりそうだ。


  


2013年03月21日

ヒマラヤトレッキング、ネパールへの旅


3月17日の昼過ぎに関空に着いた。


想像していたより、日本はかなり暖かい


街中では、早くもちらほらと桜が咲き始めていた。




駅裏に迎えにきてくれた妻のクルマに乗り、昼下がりの和歌山市内を眺める。


「しかしえらくシーンとしてるなぁ!」 僕の言葉に妻と娘たちは「?」って感じだった、

そりゃそうか。


街中の静けさと、家内のクルマの高級車のような乗り心地を味わいながら、


昨日までのネパールの喧騒を思い、少しさびしいような、残念なような?


退屈な気持ちになる。


自分でもよくわからない感情だった。




今日で帰ってきて5日が経って、ようやく旅以前のサイクルに戻ってきた感じだ。


温かい家族や粋で素敵なお客さんたちとの、穏やかで楽しい日常が帰ってきた。


あらためて、普段の生活の豊かさに感謝する。




旅の途中で43歳になったオヤジと、高校を卒業して4月から家を出て働く息子。


3月3日から2週間、旅慣れず英会話もヤバイ親子の


ヒマラヤトレッキング&ネパール観光旅行。


自分自身もこの旅を振り返りながら、ちょくちょくと書いていきます。





  


2013年02月16日

臨時休業のお知らせ


3月3日(日)~3月17日(日)まで


ロジェを休業させていただき、


憧れのヒマラヤに行ってきます。


自分の遊びで皆さんにご迷惑をおかけしてしまい、


正直かなり後ろめたい気持ちです。


その分、もっと自分に気合をいれて、


今後より一層皆さんに喜んでいただけるバーを


めざして頑張っていこうと思ってます!


ので、これからもどうかよろしくお願いいたします。 <(_ _)>





P.S ひさびさの更新ですね、スイマセン(-_-;) 帰ってきたら、またアップします!

  


Posted by タケシ at 05:47Comments(2)ロジェつれづれ

2012年11月26日

ミチシオ祭 和歌浦アート&クラフト2012

寒いかな?と防寒して参じた、ミチシオ祭。


お日柄も良すぎるくらいで、日なたならTシャツでもちょうどいいくらいだった。


おっさん三人で太陽のした、Beerと芋湯割りでほろ酔いになり、


むすめ二人は、焼そばに唐揚げ、ゴマ団子、ぶたまん etc...よく食べていた。


太陽と緑と海、いい場所だなとあらためて思う、世の中が変わっていっても、


いつまでもこのままで。




鹿児島でお湯割りするときは「黒じょか」、バーナーの火力で底が割れてしまった!





ブルーハーツを唄ってた可愛らしい若者たち、世代をこえた名曲ぞろいやね。






お箸バー「おれお」さんの凪ちゃんとN田氏、大きさは違うが顔のカタチは似ているなぁ(笑)






小一時間は並んでゲットした「綿菓子」、なつかしい味だった。






きれいな夕焼け、Tちゃんと散歩ついでに立ち寄ったDさん。





小四の娘が、波打ち際まで夕日を撮りに行っていた。彼女には新鮮だったみたいだ。





今年も備前焼「平岡」でいいモノと出会えた!蜜柑の木の灰を使った酒器、今夜からロジェに登場。
仁さん、いつもありがとう。


  


Posted by タケシ at 12:16Comments(11)アウトドア

2012年11月16日

ハシゴカフェ 「フランソワーズとショーウインド展」


アロチの端の方に「Bar MOON」という店があります。


そこのオーナーは非常に多才な方で、少女からオッサンまで幅広い人格を


持つ、とても不思議で興味深い美人です。



彼女は、「le.sac」という名で、カバンやハンドメイド布雑貨を製作しています。


ただいま「ハシゴカフェ」さんにて展示中。


今月末には、なんとフランスのパリ!で出展するとの事。


女子ワールドな作品につき、さすがに所有はためらわれますが、


クオリティの高さとオリジナリティな発想は、今回もすごいな、と思わされました。



カフェの方も、開放的で心地いい空間で、とくにトイレは必見!


むかし友人とふたりで住んでたボロアパートより広いかも(笑)


有名なお店だから、たぶんすでに皆さんご存知だろうけど、


もしまだ行ったことがないなら、ぜひオススメのカフェですよ。






















  


2012年11月13日

古いモノがふたつ



先日行った、桃の木山の家の売店コーナーで古い登山地図を買った。


なんと新品のデットストック、値段は当時のままの350円!



昭和50年発行、自分は幼稚園に通っていた頃。あなたは生まれていましたか?




MIZUNOと美津濃、豊満な白人モデル・・・時代を感じるなぁ。地図は詳細で丁寧な作りだった。







先日、お店の整理をした。いろんなものが入っていたファイルから、昔の写真が出てきた。


古いライカを愛用していたNさんが撮影・プリントしてくれた、モノクロームの四つ切。



十年近く前の築港の埋立地、カルペディウムの革シャツに金髪アタマ。なつかしい時代だな・・



     


Posted by タケシ at 12:31Comments(3)個人的なこと

2012年11月01日

午後三時のモーニング


ほぼ毎日、お酒を飲んでいる。


そして家に帰って寝るのは、たいがい朝方。


不健康な生活スタイルだなぁと、年々実感させられる。


ロクに運動もせず、おまけにヘビースモーカーだった、5年くらい前までに比べると、


今は、ずいぶんマシになったように思うが・・・。



バーテンダーたるもの、いつも笑顔で?お客様と接しなければならない。


しかし時として、それが非常に困難な場合もある。


考えられるもっとも最悪な原因のひとつとして、


「カラダの調子が悪すぎて、カウンターに立っているのもツライ・・・」という状況がある。


若い頃なら、女性や年長のお客様たちに、「よく頑張ってるね」感で同情を買えたり?


ねぎらいの優しい言葉なども、かけてもらえていたかも知れないが。


現在のロジェ事情だと、おそらくそんな甘い考えは期待できないだろう (-_-;)


「少し遊びすぎちゃうの?」、と常連さんたちのあきれ顔が目に浮かぶ・・・。



そんなこんなで、普段の食事には、自分なりに気を使うようにしている。


出勤前に食べる、お昼の人達の朝食にあたる食事は、とくに重要だ。


この判断を誤まると、胸やけでカラダが重たいまま仕事するはめになったり、


せっかくのお酒が不味くなったりと、


もともと胃腸が強くない私にとっては、朝食はけっこう大きな問題なのである。



前置きが長くなり、なんか深夜にやってる健康食品のCMみたいになってしまったが、


そんな私のお気に入りの朝食なのは・・・




ハミングバード珈琲さんのモーニングセット。



写真にプラス、珈琲や紅茶などの飲み物が選べて700円。


本日のスープ、ジャム、フルーツのコンポートなどは、すべて奥様の手作り、


食パンは、今や和歌山のパン業界で名を轟かせる、高松の名店「コリス」さん。


ゆでたまごは、あの有名な・・・ではなくたぶん普通のタマゴだと思われる(笑)


パンもスープもジャムも、すべてがいつも美味しい。


あと、私にとって重要な食後のカラダの反応も、すこぶるよろしいのだ。


コンビニ食品のように、飲み込むときにカラダが反発するような感じは全くなくて、


丁寧に作られたスープは、いつもカラダに沁みわたるようなキレイな味で、


香ばしい食パンの香りは、「正しい材料で正しく作られたらこうなるんだな」と実感させられる。



まだまだ、つらつらと書きたいこともあるのだが、そろそろお腹がすいてきた。


さあ今から風呂に入って、今日もモーニングを食べに行こう。


このブログを見たウジタさんが、いつもよりスープを多いめに入れてくれるのを期待しよう!







  


2012年10月29日

10.21 大杉谷渓谷・桃の木山の家④


シリーズも4回目になりました、最終回です。



夜中に時折、目が覚めて「雨か・・・あぁ川の音か」をくりかえし、


朝6時に起床。こんなによく寝れたのは久しぶりだ。


今日の夕方5時にロジェを開けるためには、逆算すると7時くらいには出発しなくては・・・。



「おはようございます」 今朝も定位置に座り、朝ご飯を食べている御主人にあいさつをする。


窓際に置かれたラジオからは、天気予報が。


ケイタイもTV電波も届かない山小屋の唯一のリアルタイム情報源だ。


しかし御主人が、かき混ぜている「納豆」が妙に旨そうに見える・・・あぁうらやましい(笑)



「あたらしい朝が来た~♪」、ラジオ体操が始まると、


おもむろに御主人がラジオを持って立ち上がる。


あぁ健康的でいいな、と思ってると、十歩先くらいにある厨房の入り口にラジオを置いて、


また御主人は、定位置に戻って、ドカッと座ってしまうではないか。


「御主人、ラジオ体操しないんすか?」 「えっワタシはしませんよ、わはは・・・」


さりげなく厨房を見に行くと、割烹着の木村ちゃんとエプロンのお姉さんが体操をしていた。


気さくで明るいお姉さんは、体操中もなにやら楽しそうに喋っている、


木村ちゃんは笑顔でうなずきながら、こころなしか照れくさそうに体操に励んでいる。


私もいっしょに、励みたかったけど、なんかこの可愛らしい清潔な朝の空間を


ごしてしまいそうなので、やめておこうと思った。


すぐそばの洗面所で、吊り橋の架かる川を見ながら、歯をみがく。


「おぉ!第二もやるんやなぁ」  


以前観た、「かもめ食堂」って映画をおもいだした。



 

朝ご飯、ふだんは少食だが御飯をおかわりした。ふと右を向けば、窓の外の物干し竿に御主人の

トランクスが、「ストライプ好きか・・・しかし御主人のだけやな」 



山あいに朝日が射すのは、もう少し時間がたってから。紅葉をすこし期待していたが、11月に

入ってからぐらいみたいだった。



吊り橋の支柱をつたう葉が、紅くなり始めていた。




「そんな若い子とちがうのに」と照れるかわいらしいお姉さん、彼女の明るさがほんとイイ感じでした。

しかしTちゃん、首の角度といい、なんか翁なカンジ(笑)



「ロジェ」アウトドア隊のなかでも、抜群の体力と根性を持つ男Tちゃん。私たちの次のターゲットは

弥山川コース狼平小屋泊である。



ナチュラル美人な木村ちゃん。また次に来る時まで、この山の家にいてくださいね。しかしやっぱ

濃いな~俺たち!



帰りは、さくさくっと二時間半でクルマに到着。


天気も、自然も、山の家も、出会った人達も最高な今回の山行でした。


いろんなことに感謝を、ありがとうございました!







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Posted by タケシ at 12:27Comments(4)アウトドア

2012年10月25日

10.21 大杉谷渓谷・桃の木山の家③


シリーズも3回目ですね。さて、では続きを・・・



おかずをアテにビールを飲んで、晩御飯を美味しくいただいた。


ウイスキーをヤリたい気分だったが、持参するのを忘れてしまった。


窓の外は真っ暗で、夜も更けてきた感があるけど、たぶんまだ7時前くらい。


夕食前のまだ薄暗い夕方から、紙パックの「よかいち」を山の水で割りながら、


晩酌をしていた、この家の三代目御主人。


昼間も同じ場所に座っていて、図書館で借りたという本を木製の読書台に置き、


シャンと背筋をのばして読んでいる姿は、厳しい山小屋の御主人という印象だったが、


夜はグラスを片手に、いいカンジのゆる~い笑顔になってらした。


いつも一緒に山に行くというミドルなご夫婦と、名張のイケメン男子、ほんのり顔が赤い


Tちゃんと私の五人。


隣のテーブルで晩御飯を食べてる木村ちゃんと明るく気さくな主人のお姉さん。


御主人が語る、小屋の歴史や渓谷のいろんな話を聴かせてもらったりと、


皆でたのしい食後のひとときを過ごした。



「よかいち」を飲むのは、ラベルに書かれた莫山先生が好きだからという御主人。いくつもの吊り橋

が流され、岩が崩落して、渓谷が約8年も閉鎖する原因となった、平成16年の台風の話をしてくれた。

外国人のお客さんと二人で、命からがら脱出したというくだりは迫力がありました。



窓の向こうには渓谷が流れてる、窓に映る俺たちふたり、私も「よかいち」を飲んだ。「君ら、若いけど

、なんかいい味でてますな~」と何度も御主人が言う。じつはそんなに若くはないのだが・・^^;

たしか先月に行ったラフティングのインストラクターの方も「なんか皆さん、いい味だしてますね~!」

と言ってたような・・。そんなに私たちは「濃い」のかなぁ、と複雑なキモチになる。



天井の染みは雨漏りではなく、イタチなどが天井裏に侵入して「おしっこ」した跡らしい、これもまた

風情があると思える。




館内の電気は、自家発電でまかなってる為、ときおり灯りがゆれる。


風呂上りにトランクス一丁で御主人が歩いている。


消灯は何時ですか?と誰かが主人のお姉さんに聞くと、


この人の気分しだいよ!アハハッ!とナイスな答えが返ってきた。


御主人とお姉さんに、木村ちゃんがいかに素晴らしいスタッフであるかと


いう話を、この日何度も聞いた。


アタマがいい上に働き者で気が利いて、おまけにべっぴんさんな看板娘だと大絶賛だ。


微笑ましくてステキな人達だな、と気持ちよく酔わせてもらった。


とおく離れた満天の星空には、なぜかそんなに感動しなかった。


身近な人と人との出会いの方がおもしろい。



「さぁ、寝ますか!発電機止めますよ~」といきなり御主人が言う、


時刻はまだ8時半、みんなで布団部屋に向かう。


すこし重たくて、ひんやりした布団をかぶって目を瞑ると、


川の流れる音が、大雨が降ってるように聞こえた。




次回、最終回にします。



  


Posted by タケシ at 13:00Comments(5)アウトドア

2012年10月24日

10.21 大杉谷渓谷・桃の木山の家②


桃の木山の家に到着!


木村ちゃんとお手伝いに来てるオーナーのお姉さんにあいさつをして、


そのままザックを宿の玄関に預け、張りきって七ッ釜滝に向かう。


「いいカンジの宿やないの~!」とテンションが上り気味のTちゃん!


わかるよ、そのキモチ (^。^)y-.。o○


さすがに見慣れてきてしまったけど、それぞれに個性ある滝たち。ここから先にもいくつか滝が

あるようだが、激しく崩落したままの為、現在通行止め。来年くらいには大台ケ原まで開通する

だろうとの事、そのときには縦断してみよう。



桃の木山の家の洗面所、古い建物と思えないほど清潔でキレイな館内だった。日頃よほど掃除を

してるんだろな~と感心させられる。しかしタイルのやさしい質感は、やっぱりいいもんだな。




スタッフの木村ちゃんが作ってる植物図鑑。一眼レフを携えて、渓谷の周辺を散策した花の写真と

手書きの解説。どの写真も花を見守るような優しい撮り方だった、次に見る時には、また花がたくさん

追加されてるんだろな。柄に似合わないが楽しみにしとこう。



五人だけの宿泊客のひとり、名張市から来た知的なイケメン男子。気さくでおもしろい人だった、名前

を聞くのを忘れたのが残念。前日の土曜日は40人が泊まったらしい、静かな夜でゆっくりと

ヒノキ風呂に浸かったりできたのは幸運だった。





六時くらいから晩御飯、山の清水で冷やされたビールで乾杯!白ご飯が美味し!




またまた次回につづく

  


Posted by タケシ at 12:48Comments(4)アウトドア